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元気な内に

 前々回、黒澤明監督の癌患者を扱った映画「生きる」について書いた。この映画が製作された昭和20年代と今とでは違う。当時癌は不治とされ、死に繋がる難病と怖れられた。だから当時の医師は患者本人には「あなたは癌です」とは告げなかった。62才の時に肺癌で亡くなった私の父の場合もそうであった。癌であることは本人には知らされないままであった。既に末期の状態で、約半年後病院のベッドで、モルヒネ効果で安楽死に近い状況で亡くなった。私の場合は、61才の時に大腸の内視鏡検査で直腸に癌が見つかり、医師から「細胞検査の結果、癌です」とごく普通に告げられた。それに対して私も「ああ、そうですか」と軽く生返事したのを覚えている。ショックはその後きたが、死の恐怖は感じなかった。昔と今とでは、医学の進歩で癌に対する認識も変わった。今や癌は3人に1人は罹る病気と言われている。早期発見できる医療システムも備わっている。癌は、早期、中期、末期によって全然違う。幸い私の場合、初期段階だったから外科手術だけで助かった。72才の時に亡くなった次兄の場合は、癌の中期であった。抗癌剤投与や先進的な治療法を受けたが、癌の転移までは防ぐことが出来ず、結局は癌の複合作用で自宅療養中に急遽亡くなった。癌の症状は臓器によっても違う。隠れた臓器といわれる膵臓、脾臓の場合は発見が遅れるケースが多い。私の知り合いにもいたが、実にあっけないものであった。映画「生きる」では、主人公の男性が癌で余命幾何もないと知り生きる意味を見つけるのだ、実際はなかなかそうはいかない。私なんか無事生きることだけを心がけている。先日ユーチュブで「人生を楽しく生きる3つの法則」という動画があった。1つ目は好き嫌いは別にして「何でも1度はやってみる」という心意気を持つ。2つ目はそれぞれの場において「楽しもう」と努力する、最後は「目標ややりたい事をノートに書き記す」とあった。最後の項目は、私も現役時代は必ずしたものである。新年に用意した手帳に、その年の目標ややりたい事を箇条書きにして書いた。その内書いたことは忘れるが、結果的に50パーセント程度は実現している。これは字で書くという行為が、無意識に脳に刻まれているからという。これを手書き効果というものである。困ったことに、歳を取ると目標ややりたい事がなかなか見つからない。仮にあっても身体が言うことを利かない。法則に何事も「元気な内にやる」を付け加えたい(苦笑)。今、庭のハナミズキが満開である。(2023・4.18UP)

 

 

孫の成長

 久しぶりに長男が孫2人連れてやってきた。双子のせいか身体の成長が遅いのがやや気になる。幼稚園の年長組で、来年の春には小学生である。家内が「ランドセルはどんな色がいいの」と尋ねると、女の子はすぐさま「アタシ、パープル」、男の子は「う〜ん、ボクは赤」と答える。「男の子で赤はおかしいだろう」と私が言うと、「いいの」と言い張る。「へんくう」である。息子は苦笑しながら「レンタルランドセルが流行しているようなので、それもありかな」と話を交わす。6年間同じランドセルという時代でもなくなってきているようである。まだ時間もあることだし、ランドセル問題はそれで終了。長男家族は週末にドライブしたり、短い旅行などもしているようである。先週も瀬戸内の島のキャンプ場でグランピアライフを楽しんだらしい。段々とわが家に来る回数が減ることは淋しい気もするが、それが家族の成長だろう。最近は孫をダンス教室に通わしているようである。女の子は喜んで行くが、男の子は気が進まない風という。男の子は、相変わらず頭を使った遊びやゲームが好きである。大きな白紙に頭をひねってドローンの難しげな迷路の図を描いたり(下写真)、長男が「3引く5は」と問題を出すと、「う〜とね、マイナス2だよ」と答える。九九もとっくに言えるし、小学校の算数の授業を舐めて掛かるのではないかと逆に心配。私がタブレットで、30までの数字早押しゲームや木株に棒を伸ばして渡るゲームをさせると、男の子の方が断然良い。しかし、絵を描いたり、ハサミでモノを作ったり、音楽に合わせ踊ったり、ボール遊びは女の子の方が上手い。得手不得手がはっきり分れた双子である。性格は女の子の方が素直で楽である。私の膝に喜んで跨り、ハグしてくれる。「おじいちゃん、くすぐって」と言うので、脇をくすぐるが必至で笑いを堪える。「どう、アタシ笑わないでしょう」と自慢げに言う。幼稚園の遊びにあるようである。昼寝はしなくなり、午後に家内が2人を近くの運動公園まで連れて行き、2時間余り遊ばして戻る。公園の桜はもう完全に散り切っていたという。孫の遊びに付き合う家内の元気は相変わらず。近く家内が週2回働く公共施設のホールに家内が作った数十点の手芸品を展示することが決まった。来館者に見て楽しんでもらおうという施設の要望である。その新たな作品作りにも精を出している。最近私が作ったものと言えば、粗末な巣箱程度である。毎日雀の番が飛んできて、巣箱の様子を探る姿も目にするようになった。「早く決めて欲しい」と願う毎日である。(2023・4・15UP)

 

 

英映画「生きるLIVING

黒澤明監督が1952年に作った映画「生きる」を、「日の名残り」などの作品で2017年にノーベル文学賞を受賞した日系英国人作家のカズオ・イシグロ氏が脚本化し、そのリメイク版の英国映画「生きるLIVING」(2022年)が、世界の映画祭で高い評価を受けていると知り嬉しく感じた。黒澤明の「生きる」のテーマは、生きるとは何かの問い掛けと、その実例を示すものであった。主人公の定年近い無気力な役所の係長の男性が癌に冒され、狼狽え、悩み、苦しみ、享楽に溺れるが、かって部下だった若い女性の活力に触発され、住民が陳情してもなかなか出来ない公園を自分の手で実現させることに生きがいを見出す。孤軍奮闘の結果完成した公園のブランコに座り、雪降る中で嬉しそうに公園を眺めて亡くなる。役所の連中は、葬儀が行われた家宅の広間で酒を飲み交わしながら、彼の業績を褒め称える。係長の変身を不思議がる同僚もいれば、「私も見習ってがんばるぞ」と檄を飛ばす部下もいる。然し、日が経つにつれ、役所はまたもとの無気力な空気に戻るところで終わる。ある意味、役所仕事を皮肉る映画でもあった。イシグロ氏が書いた脚本では主人公の生き方が部下の若者たちに強い影響力を与えるように描かれているという。そこに、黒澤明のやや皮相帯びた覚めた目と、イシグロ氏の作家としての向光性の違いがあるような気がするが、これは実際に映画を観ないと分からない。価値観が多様化した現代社会においても、この映画が訴える人間テーマは普遍的な意味を持つ。改めて黒澤明の偉大さを感じるとともに、今回の英国映画「生きるLIVING」を天国から眺めて喜んでいることだろう。同時に、「なぜ、日本でリメイク版を作らなかったのか」と口惜しさも感じているに違いない。映画には活劇、喜劇、悲劇、恋愛、冒険、ファンタジーなど実に様々なジャンルがある。それが映画の醍醐味であるが、今の日本映画は娯楽に偏った傾向がある。昔の映画のように、もっと現実社会に目を向け、人間や社会が抱えるテーマをシリアスに描き出す映画もあって欲しい。映画は文化の要素も重要で、その文化度が国の評価に繋がる。観客動員数がどうの、売上ランキングがどうのと騒いだところで一過性に過ぎない。あっという間に観客の脳裏からは消えてしまい、また新たな刺激を求めて現実離れした消耗品的な映画ばかりになってしまう。名作と呼ばれる映画は時空を超えて世界の人々に愛され続ける。映画は才覚ある棟梁の下で名工たちが作り上げる建造物に似ていると思う。(2023・4・13UP)

 

 

ドル支配からの脱却

米国が唱えるグローバルリズムは「アメリカ・ファースト」の色合いが強い。米国が主導権を握る中での自由主義、自由競争である。国際協定も条約も、米国は自国に不利と見れば簡単に離脱する。パリ協定もTPP(環大平洋パートナーシップ協定)もしかり。現在、そんな米国の標的になっているのが中国である。日本を抜いて世界第二位の経済大国に躍進した中国が、世界市場で米国のテリトリーを脅かしているからである。新たな東西対立と見ることも出来るが、今や地球規模に膨らんできている。大国2国に挟まれた日本の立場は益々危うくなってきている。資源もなく国土も狭い日本は自由競争をベースに、各国と友好関係を結び、市場に参入し、自国の製品や商品を売って利益を稼ぐしかない。日本にとって中国は重要な貿易相手国である。いかに米国の同盟国とは言え、日本が中国潰しの片棒を担ぐのは無謀である。米国によっても日本は付け足しに過ぎないだろうし、いつ梯子を外されるか分からない。世界経済の大きな潮流は中国、インドを含むアジア全体に流れ込んでいる。世界のマネーもアジアに注ぎ込まれている。中国、インド、他のアジア諸国の成長は目覚ましく経済格差も徐々に減ってきている。この大きな発展の流れを止めることは誰も出来ない。今必要なのは、アジアにおける共栄圏構想である。その前提としてEU(欧州共同体)の基軸通貨ユーロと同じものをアジアで創設する必要がある。すぐに無理なら、自由主義国の日本、台湾、韓国、シンガポール、タイ、マレーシアとで、ユーロ圏に加盟する選択肢もありうる。新たなユーロ圏が東アジアに誕生すれば、米中露に対抗する力を持ちうることに繋がる。世界の金融、経済の再編はアジアの今後の動き方次第である。日本が先頭に立って働けば、EUと一体の自由主義、自由競争のレールが出来上がる。これ以上ドル支配に振り回せる状況は、損であるし常に危険性が伴う。過去に米主導で決めた主要五ヵ国蔵相会議のプラザ合意による為替操作で日本は長期不況に陥り、大量なドル引き上げによってタイのバーツや韓国のウオンは大幅に下落し金融不安と経済危機を招いた。EUの共同体構想は、歴史的に幾多の戦争を繰り返し辛苦を経験したEUが作り出した英知とも言える。戦前の日本もアジアの共栄圏構想を唱えたことがある。この思想が欧州に伝わった可能性もある。馬鹿げた話と切り捨てるのではなく、将来の世界全体の発展を見据え、真剣にアジアの基軸通貨の創設かユーロ圏の加盟を考えて見る必要はあると思う。(2023・4・11UP)

 

 

京都はいいな

 京都は桜の名所に溢れているが、特に嵐山、八坂神社、円丸公園、清水寺は外国人観光客で相当賑ったようだ。8割は外国人観光客という。コロナ規制が解かれた効果がストレートに現れている。歴史文化の漂う京都はどこも桜が良く映える、種類も豊富である。こんな観光都市は世界中探してもないだろう。外国人観光客にとっても一生記念に残る景色だろうと思う。私にとって京都の桜で1番印象に残っているのは、銀閣寺の参道口から南禅寺方面に向かう「哲学の道」と称される疎水に沿った歩道の桜並木である。色のバリエーションが多彩である。桜並木の薄ピンク色、周辺を大きく包む様々な緑色、道端に咲く赤や黄や白の花々の色、疎水の石組みのくすんだ灰色と澄んだ水の色、周辺の家々の配色、それらが混在として歩いている人の心を浮ついたものから徐々に侘び寂も含んだ奥深い色に染めるのである。日本を代表する哲学者の西田幾多郎が、思索を求めて良く歩いた自然道というのも分かる。面白いことに歩いている人々の表情もどこか賢そうに映る。こんなところが京都の奥深さというのか、凄さというのか。京都ほど景観の中に自然をうまく取り込んだ都市はないのではないか。連綿とした京都人の工夫と努力の証である。祇園白川の小さな巽橋と辰巳神社のある界隈そうである。一見古めかしい茶屋街に見えるけれど、底まで透けて見える白川の流れ、川端に並んだ桜、柳、木瓜、低木の1本1本が全体の構図の中で、えも言えぬ風情を醸し出している。そこを座敷に向かう色鮮やかな着物姿の舞妓、芸子さんたちが姿勢良く速足で歩く光景などは、この世のものとは思えない。外国人観光客からしたら、時空を超えたファンタジーの世界に迷い込んだような気分になっているに違いない。事実、その瞬間時間が止まっているのである。舞妓、芸子さんの姿は昔のままである。これはNHKの番組で観た話だが、有名な脚本家の倉本聡さんは、京都で茶屋遊びをする時は部屋を和蠟燭の明かりにしてもらうという。舞妓、芸子さんの踊りを和蠟燭の明かりで観るのが好きという。蠟燭の炎の揺らめきと陰影が、白塗り化粧と踊りを一層引き立てる。その映像も実際に観たが、電気の明かりとは雰囲気が違う。舞妓、芸子さんの愛らしさ、美しさ、艶めかしさ、妖しさ、哀しみが一層深みを増す感じである。今も旦那衆の中には和蠟燭を所望する人がいるのかもしれない。これは京都好きであった文豪谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」の日本人の美学と相通ずるものがある。やっぱり、京都はいいなと思う。(2023・4・9UP)

 

 

ベトナム人

先日ユーチュヴで変わった動画を観た。兵庫姫路在住のエネルギッシュで才能豊かなアウトローのバッパショウタという30才の男性が運営する動画である。辺境好きの彼が最近ベトナムを旅行し、61年間1日も眠らない男がいるという情報を聴きつけ、その男の暮らす村の実家を探し当て、事実かどうかを実証見聞する内容であった。まずはその80才になる男の1日の生活ぶりを密着取材するが、それが何とも凄い。男の家族は広い田畑を所有し、豚や鶏を飼い、米焼酎まで自家製造する。不眠どころかほぼ一日中働き回る。しかもタバコを良く吸い、仕事の合間に度数の強い自家製焼酎を水の如く飲む。娯楽はテレビを観ること。夜酔って少し横になるが、すぐに起き上がり、夜間はずっと倉庫で焼酎造りに精を出す毎日のようである。ショウタが「なぜ、眠らないのか?」と質問すると、男は若い頃ベトナム戦争で米軍のゲリラ部隊に加わり、昼夜を問わず戦った頃から眠れなくなったという。男の右手は戦傷で変形している。眠ることは直接死に繋がるという恐怖心から、自然とそうなった可能性もある。いわば戦争の後遺症である。生きる三原則である栄養、睡眠、運動という観点から言えば、80歳になっても不眠に近い状態で毎日元気に動き回り、働き続ける男の姿は、医学のメカニズムからしても不思議。酒のアルコールとたばこのニコチンの影響で脳が覚醒と麻痺を繰り返すことによりある種の睡眠効果を生んでいることも考えられる。これは普通に出来ることではない。自由な自給自足の田舎生活だから出来ることであろう。話は飛ぶが、なぜ世界一軍事大国のアメリカが東南アジアの貧しい国ベトナムに戦争で敗れたのか。日米戦争時のような核兵器の使用が出来なかった、中ソの軍事支援を受けた北ベトナム軍の執拗で巧妙なゲリラ戦略に翻弄され、アメリカ軍は多くの死傷者を出し、アメリカや世界で反戦運動が沸き起こり、ギブアップせざるを得なかったからである。興味深いのはその後のベトナムの動きである。当初は社会主義国の理想を目指したが、忽ち国内で多くの難民を生み出し、中にはボートピープルとして国外に逃れた。歴史的に数々の苦難を経験してきたベトナム人の強かさと言うべきか、その後開放政策を取り入れ、全方位外交に務め、ベトナムの発展に力を注いでいる。ロシア、中国にも適当に距離を置き、日本との関係も良好である。多くの日本企業も進出している。色々な意味で、ベトナム人はアジア人の特質を色濃く持った民族と言える。今後益々飛躍するのではないかと期待される。(2023・4・6UP)

 

(ベトナムの老人)

 

アフリカ

 アフリカは、かっては暴動、内乱、国境紛争が度々起きた。それが近年、安定した雰囲気が伝わって来る。戦争が続く中東諸国や東欧諸国と違う印象である。世界地図を見ると、アフリカは日本の西端に位置するブドウ房のような広大な大陸である。私のイメージも、人類誕生の地、エジプトのピラミッド、広大なサハラ砂漠、野生動物群がるケニアの大草原、猛獣狩り旅行(サファリ)、最高峰キリマンジェロ、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)、奴隷貿易を生んだ暗黒大陸など、一元的である。理由として欧米諸国が発信した過去の情報の影響もあったのではないかと考える。つまり、アフリカは未開の大地、野蛮な種族、文明に取り残された貧困と混乱の国々という刷り込みである。アフリカ大陸は、15世紀後半の大航海時代に最南端のケープタウン(喜望峰)を回りインド洋に延びる海路が開けるまでは、各地で独自の王国文化が繁栄していた。その多くは、16世紀以降ヨーロッパから侵入してきた欧州強国に占領され、分割され、略奪され、破壊された。加えて、新大陸の南北アメリカの開拓に伴う労働力不足は深刻で、欧州強国はアフリカの原住民を家畜のように掻き集め、奴隷として新大陸に送り込んだ。その奴隷貿易でも、欧米強国は巨額な利益を稼いだ。統計によれば、アフリカの奴隷人口は南北アメリカで1200万人、アメリカだけで400万人に上る。アメリカは南北戦争後に奴隷を解放したが、当時の奴隷の平均寿命が17歳から38歳であったことを考えると、いかに過酷な労働を強いられていたかが分かる。欧州強国の富と南北アメリカの基盤は、アフリカの奴隷たちの汗と涙と血によって築かれたと言っても過言ではない。イギリスの植民地で苦しんだインド人もそうであるが、アフリカの民族は高い誇りと教養を備えている。両民族が築き上げた王国文化の中には、古代ギリシャとローマに匹敵する価値のある文化遺産も残っている。そのポテンシャリテーは高く、近年アフリカ諸国とインドは目覚ましい発展を続けている。その巨大な市場と豊富な天然資源を狙って、中国、ロシア、欧米がまた違った形でアフリカを取り込もうとしている。過去のような草刈り場にされることはないだろうが、アフリカ諸国は一致団結して、アフリカ全体の発展に頑張って欲しい。もはや強国の利益優先型の経済戦略は色褪せてきている、共存共栄を柱としなければいけない。ゆくゆくは有色人種のアフリカとアジアが手を結び、その方向性を確かなものにする必要があると思う。(2023・4・3UP)

 

 

春の訪れ

♪仰げば尊し,わが師の恩・・・、♪螢の光、窓の雪・・・。今でも口ずさむと涙腺が緩む。小中学の卒業式では、泣き出す生徒も多かった。別れと言っても、小学の時は4月に近くの中学に移るだけであったが、さすがに中学の卒業式の時は寂しさが込み上げた。就職する生徒もいたし、高校も普通、商業、工業、農業、水産、各専門校など進路が大幅に分れた。そんな仲間と別々になるのが辛かったし、幼馴染で好きだった彼女と別れるのも切なかった。彼女はクラスでマドンナ的な存在であった。成績は常にトップクラスであったが、特別美人であった訳ではない。傍にいて守りたくなるような小さな丸顔のひなげしのような愛らしい女子であった。彼女は県下の名門女子高に進み、私は隣町の県立の男子高に入った。男ばかりの教室は砂漠のようであった。時折彼女がどんな高校生活を送っているのか気にもなった。夏休みのある日、中学時代の仲間3人と彼女の家を訪ねることにした。突然甲子園球児のような男4人が玄関前に並んで立っていたのだから、彼女は「まぁ!」と驚き、すぐに昔の笑顔を見せてくれた。久しぶりに会った喜びを、全員で噛みしめた。乙女に成長した彼女は白百合のような甘い香りを漂わせていた。男子4人はその香りに酔い痴れしばし茫然。彼女を取り囲むようにして、お互いの高校生活の話をしたり、クラス仲間の情報なんかを交換した。彼女が急に、「私、いまビートルズに嵌っているの。今もレコードを聴いていたところよ」と言った。男4人はきょとん。英国の若い男4人のバンドグル―プで人気沸騰中ということは知っていたが、そう馴染みはなかった。同時に彼女とビートルズとの組み合わせを意外に感じた。「さすが」と思う反面、取り残された気分にもなった。「そうか、そうやって段々と距離は離れていくのだな」。高校卒業間近に、私は決心して彼女に手紙を書いた。ラブレターというよりファンレタ―に近い内容であった。名前は無記名にした。純粋に高根の花に対する憧れであった。受け取った彼女は驚いただろうが、差出人は分からないままのはずである。なにしろ彼女のファンは一杯いた。その後、私は大学受験を目指し、夜汽車に乗って単身東京に向かった。恰好良く言えば「青春の旅立ち」である。中学を卒業して早や63年。10年前に出席した同窓会で聞いた話だと、彼女の消息は不明らしい。桜の咲く頃になると、ふと彼女の面影が浮かんでくる。記憶の彼女は歳をとらない。人間誰しも、青い林檎のようなほろ甘い記憶の1つ2つはあるだろう。そんな春の訪れである。(2023・3・31U)

 

 

桜シーズン

 「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」。江戸時代の「古事記伝」で有名な国学者・本居宣長の歌である。当時はソメイヨシノはまだなく、桜と言えば山桜であった。樹木の生い茂る山中にあって、一本凛と立って、春になれば小さな白い花びらを枝一杯に咲かせ、その香りを周辺に漂わせる。本居宣長は、その山桜の気高い姿を見て、「日本人の心を映し出している」と感じたのである。他人に阿れない、邪魔しない、周りと溶け合うが、自分の立つ位置はしっかりと、肝腎な時には自分の力を思う存分発揮する。なんだか、今回のWBCで大活躍した侍ジャパンの選手たちのようである。そう言えば、戦国武将の武田信玄も「山は富士、花は桜木、人は武士」という言葉を残している。この桜木も山桜を差すのだろう。本居宣長も武田信玄にも感動を与えた山桜とは、一体どんな桜木なのか。普通一般の人はあまり見かける機会が少ないと思われる。私は山歩きの途中で山桜を2,3度見たことがある。その中の1本は特別であったのかどうか分からないが、今思っても感動の一語であった。まずは立派に上に延びた姿、四方均等良く張った枝ぶりの見事さ、小さな真っ白な花弁の瑞々しさ、木の生命力から発する香りの豊かさに心が蕩けた。上品で甘く、その場から離れ難かった思い出がある。本居宣長が生前、自分が死んだら墓に山桜を1本植えてほしいと言い残したというが、その気持ち良く分かる。山桜は母親の胎内のようでもあり、全てを包んでくれる観音菩薩のように感じたのかもしれない。あの山桜に出合った後は、花見シーズンに桜名所に並ぶソメイヨシノを見物しても、何だか造り物のように思えてくるようになった。綺麗は綺麗だが、どこか物足りなさを感じてしまう。枝も勝手放題に延び、香りもほとんどしない。つまり桜の心が伝わってこない。「綺麗だ」「美しい」で終わってしまう。花の役割からすればそれで充分で、心まで要求するのは無茶な話であるが、山桜だけは一味違ったことは確かである。桜に関しては、平安歌人の在原業平の「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌もある。桜の咲くころは桜が気になって仕方がない。心が浮立って何事も手に付かない。そんな様子がおかしく伝わってくる。それは今も同じようなもので、テレビでは、連日桜情報を賑やか気に放送している。理由は、桜があっと言う間に咲き、あっという間に散ってしまうからだろう。その潔さも日本人好みと言えばそうかもしれない。家内は明日はシルバーネットの桜見1日ツアーに参加する。(2023・3・29UP)

 

 

スター選手

草野球と言えば、少年たちが草原で野球ごっこをしているイメージだが、私の少年時代はそれがお宮の境内であったり、河川敷であったり、海辺の砂浜であったり、小さなダイヤモンドが作れる空間があれば、野球に興じた。ボールは柔らかいゴムボール、バッドは竹の棒、グローブは素手。そこで野球の楽しさとルールを覚え、打つ、走る、守るを身に着けた。中学に入ると野球部があり、縫い目模様のついた軟式ボール、木製のバッド、人工皮のグローブが用意され、正式な野球を身に着けた。サッカーと野球の違いは、全てにおいて野球の方が条件的に難しいことである。サッカーならボール1つあればパス、シュートで遊び回ることが出来るが、野球はそうはいかない。その差は世界の競技人口に現れている。今回の日本が優勝した第五回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)も、盛り上がったのは出場国ぐらいで、世界全体では、サッカーのFIFAワールドカップほどの広がりはなかったと思う。それでも、今回のWBCは、野球の面白さ、醍醐味を日本代表選手たちは世界中に発信したのではないか。どんなスポーツでも、スター選手は必要で、スター選手の活躍によって全体がより盛り上がる。特にヒーロー願望の強い少年たちに与える影響は大きい。その意味で、今回の大谷翔平選手(28歳)の輝きは効果絶大であっただろう。「ボクも、大谷選手みたいになりたい」と胸を膨らました少年たちが沢山生まれたに違いない。優勝後にアメリカの放送番組に呼ばれた大谷選手に、元大リガーの選手が「君は、どんな星から生まれて来たの?」と質問する場面があった。地球人とは思えない、宇宙人だろうとジョークを滲ませたものである。それに対して大谷選手は、「日本の田舎ですよ」と笑って答えた。大谷選手は、岩手県水沢市で社会人野球の選手であった父親とバトミントンの選手であった母親の次男として誕生。子供時代はバトミントンと水泳で基礎体力を鍛え、リトルリーグ時代に監督の「先入観は可能を不可能にする」の教えを頭に刻み練習に励み、高校時代は甲子園に出場し投打で大活躍しプロを目指す。憧れの選手は打者は松井秀喜、投手はダルビッシュ有であったという。ここでも憧れが、インセンティブ(動機)として働いている。大谷選手の少年のような輝いた目には、常に憧れの対象があり、それがいつしか自分の姿を映し出しているかのようである。スター意識は充分である。おそらくその先には少年たちの姿がダブって見えているはずである。スポーツ競技にはスター選手が必要と改めて思う。(2023・3・27UP)

 

 

WBC余話

今回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で世界制覇を成し遂げた日本代表チームが帰国。到着後、紺のスーツと縞のネクタイに身を整え、全員座って共同記者会見に臨んだ。まずは全く疲れた様子がないことに驚く。約1ヶ前に宮崎で合宿練習を開始、東京ドームで予選ラウンド4戦を勝ち抜き、舞台をアメリカのマイアミに移し、準々決勝、準決勝、決勝と1日も空けず戦って優勝。優勝セレモニー、インタビュー、祝勝会を経てすぐに帰国。にも拘らず、全員風呂上りのようなさっぱりとした表情を浮かべていた。超一流選手の体力と精神力は凄い。共同記者会見の答弁も歯切れよく応じていた。栗山英樹監督の答弁は模範を絵に描いたものであった。特に印象に残ったのは、「一番記憶に残るシーン」を問われて昨年の三冠王のヤクルトの村上宗隆選手が、決勝の終盤にベンチとブルペン(ピッチャー練習場)を汚れたユニフォームで往復する大谷翔平選手の姿を見て、「夢のようなシーンでした」と感動した話である。横にいた巨人の岡本和真選手も「後輩ながら、うまい話をするな」と思ったに違いない(笑)。ダルビッシュ有選手も大谷翔平選手も、大リーガーの一流選手は人間的にも立派な人が多いと述べていたが、日本のプロ野球界もそうである。またそうでないと、高みには行けないものなのであろう。コーチ陣の話で面白かったのは、岡本選手に間違ったサインを出して2塁でタッチアウトを喫したことと、準決勝のメキシコ戦の最終回の逆転シーンで、村上選手のセンターを超えるヒットで、3塁の走塁コーチは一塁ランナーを3塁で止めるか、走らすか迷ったが、ベンチを飛び出した日本選手に煽られ、思わず手をぐるぐる回してしまったという話。もし同点で終わっていたらその後のゲーム展開はどうなっていたか分からない。日本の勝因は数々あるが、四球を選ぶ選球眼の良さ、走塁の上手さもあった。後はやはり大谷選手。決勝戦の前に、選手ロッカールームで大谷選手が代表して、「今日一日は大リーガーに憧れる気持ちは捨てましょう。勝つことだけを考えましょう」と激を飛ばしたしたことである。実はこれは、前にイチロー選手が日本選手に掛けた言葉と同じらしい。日本を飛び出し大リーガーで活躍する日本選手だから出てきた言葉であろう。憧れる気持ちは内向的になる、時に対等意識も必要である。そんな色々なことを教えてくれた今回のWBCであった。最後に、小指骨折にもかかわらず攻走守に大活躍した西武の源田壮亮選手に最大限の拍手を送りたい。(2023・3・25UP)

 

 

WBC日本優勝

第5回WBC(ワールド。ベースボール・クラッシク)の決勝は、日本がアメリカに3対2の僅少さを制し、3回目の優勝を果たした。14年ぶりの快挙である。勝因は日本代表のチームワークの良さと投手陣の踏ん張りと栗山英樹監督の采配であったと思う。加えるならば、精神力の逞しさである。精神力は英語でスピリッツ、これは個人が保有する耐性力である。栗山監督が試合前によく口にした「魂」は、超然的で共有、伝承、伝播する心性である。大和魂、武士魂という使われ方がそうである。日本ハム・ファイターズ時代に栗山監督の下で育った大谷翔平選手や先輩のダルビルシュ有選手は、この魂を理解しており、それを若手選手に伝え、若手選手たちもそれに答え、誰一人臆することなく各持場で存分に力を発揮し、日本の完全優勝に導いた。この日本人の魂は、外国選手にはなかなか分かり難いものかもしれない。今回唯一それを感じ取ったのは、予選ラウンドで戦ったチェコの代表チームではなかったか。勝者日本に対して賞賛の拍手を送っていた。将来強いチームになることが予想される。片や決勝に敗れたアメリカ選手はどうであったか。アメリカ代表チームの看板のマイク・トラウト選手もベンチの中で項垂れ茫然自失の状態であった。他の選手たちも負けたことが実感出来ない様子であった。後感じたことは、優勝会見の席で、栗山監督、大谷選手、ダルビッシュ選手が異口同音に、「今回の優勝を日本で野球をしている子供たちも大喜びしていると思う。自分たちもがんばろうと思ってくれれば幸せです」と語っていた。これも実に日本人らしい。更に言えば、今回日本代表に選ばれながらも負傷で欠場した鈴木誠也選手、栗林良吏選手のユニホームを常にベンチ内の目に付くところ掲げ、優勝瞬間のマウンドでも舞台の記念撮影の時も、球場内の行進の時も、片時も離さず共にしていた。労わり、励ましであっただろうか。これも実に日本的である。たかがスポーツであるが、そこには様々なエッセンスが詰まっている。日本の優勝は、まさに大和魂、サムライ魂の結実であった。今回はアメリカ型のベースボールと日本型の野球の対決であった。日本の野球がWBCで3回も世界制覇を成し遂げたことは、今後世界の野球に大きな影響をもたらすかもしれない。今回の最大の功労者(MVP)はやはり大谷選手である。日本代表チームにサムライ魂を吹き込み、自らも投打に大活躍し、最後も見事に締めくくった。過去2回の優勝の時のイチロー選手に匹敵、いやそれ以上の存在感を放った。誇らしく思う。(2023・3・23UP)

 

 

サクラ草と巣箱

小さなピンクと白の花びらを咲かせたサクラ草は、今年も本格的な春の訪れをわが家の庭にもたらしてくれる。可憐な乙女のような風味と、その底に秘めた野生の逞しさを感じさせるところが、私がこの花を好む理由である。家内が仲間の誰かからサクラ草の苗を貰ってきたのは数年前であったろうか。それをプランターに植え付け毎年その数を増やしていった。今は仲間たちから「あんたはどうして、そんなにうまく増やせるの?」と羨ましがられ、悔しがられるほど、サクラ草はわが家で増殖した。逆に最近ではサクラ草を枯らした仲間たちに配っているほどである。 植え付け、挿し木はたしかに家内は上手い。カポック、ハイビスカス、ツバキでもなんでも、挿し木で増やしてしまう。やはりこれは「農家で育った娘」の技と睨んでいる。それは料理人の名人が、料理に隠し味を加えるのと似ている。昨年春、散歩途中に真紅のバラのような八重の美しいツバキを道路端で見つけ、先っぽの15センチ余の枝を貰ってきて、家内がそれを挿し木した。それが見事に根付いて苗木が育った。今年は無理だが、来年の春には蕾を付けそうである。咲けばそれは見事なはずである。楽しみがまた一つ増えた。改めて植物の生命力はすごいものである。人間もあちこちに移植できればいいのにと思うが、人間の場合は子や孫がそれに相当するのだろう。存在、生命は遺伝子によって未来に受け継がれて行く。人間も植物も、姿や性質はまったく異なるけれど、原理は同じである。昨年来の体調不良は続いているが、再びの春を迎えて、気分的には多少晴れる。暇に任せて、小鳥用の巣箱を作った。それをケヤキの太い幹に括りつけ、毎日観察している。穴を小さくしたので野バトは興味を示さないが、尻尾の長い緑色のウグイスらしい小鳥や、シジュウカラに見える黒白柄の小鳥が、毎日のように飛来してくる。「この巣箱、大丈夫かな」と調べている風に見える。やがてケヤキの葉も茂り、巣箱も隠れて見えにくくなるはずである。天敵のカラスも襲ってくることはないだろう。毎年のようにケヤキの枝に巣を作る野バトには申し訳ないが、今年は小鳥にチャンスを与えよう。サクラ草に心が和み、小さな巣箱に期待を寄せる。細やかなものであっても、年寄にとっては気分が紛れる。今度孫たちが遊びに来たら、この巣箱を見せてやろう。運よく小鳥が巣として使ってくれたらいいなと思っている。今年も後少しでサクラシーズン。マスク着用も解かれ、日本全国、一層春めく雰囲気である。さて、サクラ見物どこに行こうか。(2023・3・19UP)

 

  

 

夢は叶う

 「夢は叶う」、英語で「Dreams come true」、これは実際によくあることである。今回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック}で日本代表チームに初めて選ばれた日系2世のラーズ・ヌートバー選手が10才のリトルリーグの時に映したビデオで、「将来日本の代表チームで出場することが夢です」と語っているがこれもそうである。こういうケースはスポーツ界では珍しいことではないが、一般社会においても子供時代に描いた夢を実現する人は結構いる。夢が叶う確率は、意志と努力と環境が左右するだろう。自分に当て嵌めて見ると、大きな夢は持ち得なかったが、将来商売で身を立てたい、結婚し堅実な家庭を築きたい、子供も儲けたい、海の見える家に住みたい、旅行や趣味を楽しみたい、健康でそこそこ長生きしたい、自分史を綴るホームページは長く続けたいなど、細やかながらほぼ実現したように思える。人生の道筋は色々で、1本道を歩む人もいれば、分かれ道に迷いながら歩む人もいる。私は後者であったが、その時々の選択に夢が多少とも影響を及ぼしたことは認める。夢は活力を生み出す源である。悩み迷った時にはもう一度夢を思い起こすことも大事だろう。話は変わるが、ユーチュブ動画で私がファンの若い美人のロシア人女性のアリョーナ(日本名安涼奈)さんは、この春東京大学大学院を卒業し、山梨県で甲州ワインを扱う勝沼酒造に営業・広報担当として就職することが決まった。彼女は1度、東京大学卒業後に一流企業に就職したが、仕事と社風に馴染めずすぐに退職し、東京大学大学院生に入り直し、自分の将来の道を模索していた。大の登山好きで日本各地の名山に挑戦し、山梨県を訪れた際に、甲州盆地の風景と自然に惚れこみ、ワイン製造元の勝沼酒造との縁に出合い、折々にブドウ畑の農作業を手伝い、アンバサダー役も勤めて繋がりを深め、最終的にそこで働くことを決意したようである。彼女の将来の夢は、自然豊かで美しい山梨の地で、好きなワインの仕事に携わり、休日に登山を楽しみ、美味しい地元料理を食べ、見晴しの良い場所に家を建て、こよなく愛する秋田犬と暮らすことのようである。同時に山梨県の魅力を発信することと、甲州ワインを世界に広めたいという希望も持っている。この春彼女の新生活がスタートする。ファンの1人として彼女の夢が叶うことを願っている。心配はロシア・ウクライナ情勢とロシアで暮らす両親家族である。気丈で純粋なだけに、環境面で不安が残る。持ち前の聡明さと意志の強さで頑張って欲しいと思う。(2023・3・17UP)

 

 

WBC

東京ドームで開かれた第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のBグループ地区予選で日本は4戦全勝で準々決勝に進出した。対戦相手の中国、韓国、チェコ、オーストラリアをいずれも大差で勝利。大リーグのエンジェルスの大谷翔平選手、カージナルスの日米ハーフのラーズ・ヌートバー選手の活躍が日本に勢いをもたらした。どの対戦チームも日本の侍チームの迫力に飲まれたムードがあった。宿敵韓国さえも日本打者に怯み四球連発で自滅した。WBCと言えば、忘れられない思い出がある。2006年3月に還暦祝いを兼ねて夫婦で私の生まれ故郷の台湾旅行に出掛けた日に第1回WBCの決勝戦が行われた。王貞治監督率いるに日本代表チームが、イチロー選手の活躍もありキューバに10対6で勝利して初優勝を果たした。2日目の翌朝ホテル(圓山大飯店)の玄関前に待機していたワゴン車に乗るや否や、中年男性の運転手とガイド役の若い女性の2人が興奮して「ニホンユウショウ、オメデトウゴザイマス」と日本優勝を大きく報じたスポーツ新聞2紙を渡してくれた(P3)。王監督の父親が台湾人であったこともあっただろうが、日本の優勝をわがことのように祝福してくれる2人に対して嬉しさと感謝。日本と台湾が兄弟の絆で結ばれている印象を受けた。野球の原型は英国の国技クリケットで、それを米国がベースボールに仕立て始まったスポーツである。戦前にアジアで日本が最初に取り入れた。当時日本の植民地であった台湾、韓国にも現地の青少年の教育の一環として採用し、指導し、広めた歴史がある。チームプレイと練習、努力の大切さを教える目的があったのだろう。2014年に台湾で製作され人気を博した映画「KANO1931年海の向こうの甲子園」を観れば良く分かる。当時日本は融和策を取っていたが、台湾人、韓国人の誇り、アイデンティティまでもぎ取ろうとはしなかった。むしろ民族の独自性を伸ばして欲しいと願った。戦後台湾、韓国の目覚ましい発展は、その教育成果の延長線上にあったのではないかと思う。野球はチームプレイの見本のようなスポーツである。9人の力が巧く噛み合わないと勝てない。好不調の波もあり、スーパープレイヤーがいれば安心というものではない。カバーする選手が必要で、点を取っても取られれば帳消しである。WBC界で日本チームが一目置かれるのは、その総合力の高さであろう。今回残念ながらアジア勢で上位進出は日本だけだが、日本独自の野球パワーを見せてくれることを期待している。(2023・3・15UP)

 

 

陽気に誘われ

 春めく陽気に誘われ、周防大島の河津桜を見に出掛けた。この数年は蒲刈島と柳井上関の河津桜を見物したが、昨年はコロナで行けなかった。朝10時車で出発。「3月中にマスクが解かれようで、顏のケアー商品が大売れのようよ」と家内。「マスクは顔を隠すから便利だっただな」と笑い合う。油宇の潮風公園の道の駅に立ち寄り、地元野菜と漬物を購入。周防大島に渡る大島大橋下には帆立の釣り船が一隻もなかった。オフなのか、釣れなくなったのか。渡ってすぐオレンジロードに入る。命名はいいが、前に登山した文殊山、嘉納山の中腹を走るアップダウンのある曲がりくねった道路。時々視界が開け海の景色が眺められた。途中で見事な紅白のしだれ梅に出合い、道沿いに並んだ河津桜が鑑賞できる箇所があった。道路を逸れ桜で有名な屋代湖ダムを見学し、オレンジロードに戻り東和方面に向かう。昼飯時だったのでとうわの道の駅に直行したが、生憎定休日。その駐車場で、老人夫婦の男性が小積の河津桜の場所を尋ねてきたので教えたが、「島の道路は分かりずらい」と立腹の様子。そこから西方面に峠を越えサザンビーチに到着。このエリアは「瀬戸内のハワイ」を模したリゾート地として人気が高い。美しいエメラルドグリーンの海を前に、ヤシの林、白い砂浜、海水浴場、豪華ホテル、キャンプ場などが整備されている。小積の河津桜の名所はその道路のすぐ先にあった。海沿いの集落のミカン畑だったらしい場所に数十本の河津桜が赤ピンクの花びらを満開に咲かしていた。不思議とメジロはいなかった。蜜を吸い尽くした後だったのかもしれない。見物客は年配の女性客が大半。とうわの道の駅の老人夫婦の姿が見えなかったところを見ると、道が分からなかったのか。戻りは海沿いの広い道を走るが、適当なレストランや食堂は見当たらない。道路端で柑橘類を商う店で、家内は好物の八朔を2袋購入。デコポン2個サービスしてくれた。店で老店主と客の老人夫婦の男性が口喧嘩。店主の態度に腹を立てた客が「こんな失礼な店、誰が買ってやるか」「おお、貧乏人は買ってもらわなくても結構」と老店主。老人の男性は怒りぽい。結局前も良く利用した大島大橋口にある弁当屋で惣菜2個と焼きそばと巻寿司稲荷(おはぎ付)を買い、潮風公園のビーチで海を眺めて食べた。食後に缶コーヒーとアイスクリーム。帰路、岩国の姉のマンションに寄るつもりが、メール確認で東京のディナーショー参加のため仲間6人と出掛けていた。なんでも三重の妹も3月に仲間と宝塚歌劇と東京見物をするらしい。2人ともいつまでも気が若い(笑)。(2023・3・11UP)

                                                                                            

  

 

落語と想像力

「子供に落語を聴かせ、想像力を養わせよう」という趣旨を新聞に投稿したら採用された。オレオレ詐欺のように金に目が眩み簡単に犯罪に手を染める若者が増えたことに対する憂いからであった。罪を犯した自分の人生が想像出来ないのか。落語は座布団に座った落語家が身振り手振りで話す内容を聴いた人が、その情景、場面、人物を頭に描いて想像することによって成り立つお笑い芸である。想像を働かさないと面白くも可笑しくもない。しかし、古典落語に登場する場面や言葉遣いは、今の子供たちにとって意味不明分なものも多いだろう。「文七元結」「火焔太鼓」「品川心中」「らくだ」・・・。意味が分からないものを想像しろと言っても無理な話。中には放送禁止用語も多分に含まれている。古典落語が段々廃れるのも無理もない。創作落語や現代落語に力を入れている落語家もいる。これなら話が通ずる。それでも、テレビゲームやビジュアルなお笑いに慣れている子供たちからすれば、受けが良くない感じである。年代が若くなるにつれ想像力が鈍くなってきていることは確かだろう。想像力がなぜ必要か、それは創造力を生み出す源だからである。人間の進歩、科学の発達は、この創造力の賜物である。原始の石器、鉄器の道具から現在の発達した機械やシステムまで、全て発案によって生み出されたものである。楽に、便利に、効率良く、みんなの為を主眼に編み出されたものである。戦後日本経済の発展に貢献したソニーのトランジスターラジオ、ホンダのドリーム号と命名された小型バイクも、創業者たちの弛まぬ創造力によって製品化された。おそらく創業者たちの頭の中には、この製品を使って喜ぶ人たちの姿を想像したに違いない。「苦労は買って出ろ」というが、その頑張りを支えたのも想像力であっただろう。想像力が失われた社会を想像すると、刹那的で暴力的な空気が広がる怖い世界が映る。相手を思いやる、労わる気持ちも薄れ、我利我利亡者が増殖する非情な社会が目に浮かぶ。教育も個に重きが置かれ、肝腎な世界や社会の存在は片隅に追いやられ、結果的に個も輝きも見せずに埋没してしまう。落語に登場する場面も人物もみんな生きている。町内のご隠居さんも、貧乏長屋の八ちゃんも熊さんも、大店の旦那も丁稚さんも、遊郭の女郎さんも生き写しである。それが織りなす人間模様は他人事ではない。バーチャルリアリティそのものである。そんな話芸は世界に例がない。今の子供たちもまず分かり易い落語を聴かせ、想像力を養って欲しいと思う。(2023・3・8UP)

 

  

 

日本の広告業界

東京オリンピック・パラリンピックを巡る不正事件が連日のように報道されている。日本五輪組織委員会と仕事を請け負った広告会社が絡む事件である。広告会社はオルガナイザー的な役割を持ち、下部業者に対して強い権限があったことは分かるが、これは両刃の刃である。問題の背景にあるのは、日本五輪組織委員会の丸投げ体質にもあった。前も書いたことがあるが、1964年の東京五輪大会と大きく違う。当時の公式記録映像を見ると、日本五輪組織委員会の役員も東京都の役人も実によく働いた。広告会社が目立つこともなかった。当時からも大手広告会社のD社やH社は有名で、大学生の就職先として人気が高かった。私の友人も慶応大学を出てH社に就職した。東京時代、一緒に酒を飲んだこともある。仕事は相当きっかったようである。営業であったが、企画、立案、クライアントとの商談が主で、途中で身体を壊して退社してしまった。広告会社の仕事がハードなのは、D社が掲げる社訓を見れば分かる。しかも優秀な社員が揃っているので、その総合力は他を圧するものがある。今や商業主義、消費社会のモンスターと化している。連日テレビで目にする夥しい数のコマーシャルを手かげているのは広告会社である。他にも様々な宣伝広告や大会や競技やイベントや映画制作にも関わっている。何でも屋であり、便利屋であり、スポンサーであり、広告会社という実態すらぼやけて見える。欧米の広告会社も果たしてそうなのか。調べると成り立ちが全然違うと分かった。日本最大手のD社を例にすれば、最初は新聞などの広告代理店(ブローカー)からスタートした。他の広告会社も同じだろう。一方欧米の広告会社は企業や会社専属の宣伝部から始まったケースが多い。つまり日本の広告会社は情報主からスペース、時間を買い取り、あらゆる業種の広告宣伝をそこに嵌め込んで金を儲けるという一業種多社の性格を有している。トヨタ、日産、ホンダの車の宣伝も同時に扱うことも出来る。次第に商業分野には何でも絡むという性格を帯びるようになった。それが寡占化、独占化に繋がり、今回のような何人もの逮捕者が出る不正事件を起こす結果になったと言える。実務経験、専門知識、公共性、企業モラルは相対的に低く感じる。過去の日米交渉で、日本の広告会社は遅れていると米国から厳しく指摘されたらしいが、それはそういうことだろう。今の日本社会、コマーシァルに溢れ過ぎている。これ全て商品価格に転嫁される。公正、独占防止を計る観点からも広告業界全体の体質改善が必要と思われる。(2023・3・5UP)

 

 

毎朝洗面所で顔を洗う。鏡に映る自分の顏を眺める。毎日同じ顔がある。しかし、ある時、死んだ親父の面影と一瞬重なって見えたことがあった。子供の頃から親父似と言われ、歳とともに余計似て来ている。朝のぼんやりとした頭で、眩惑のように映り出されたものかもしれない。懐かしくもあり、淋しくもあり、不思議な心持ちであった。ふと小泉八雲の本に出てくる日本昔話の「松山鏡」を思い浮かべた。短く述べると、越後の国松山に若い侍夫婦が住んでいた。2人の間に小さな娘がいた。侍が殿様に従い都に出て、土産に妻に青銅の鏡と娘に菓子を買って戻る。鏡を知らない妻は鏡に映る自分の笑顔を見て不思議そうに夫に「誰ですか?」と尋ねる。「馬鹿だな、お前だよ」と夫は笑って答えた。それ以上聞くのが恥ずかしく、妻は夫の贈り物として鏡を大事に奥にしまってしまった。年月が経ち妻は重い病に罹り、間際に鏡を娘に渡し、「私が死んだら朝夕この鏡をご覧なさい。そうすれば私に会えるから」と娘を慰め息を引き取る。それから娘は毎朝毎晩鏡を見てそこに映る顏を母だと信じた。実際、母と娘は良く似ていた。それで毎日鏡の母を見て話しかけた。父はその娘の様子を奇妙に思い、娘に訳を尋ねた。娘はありのまま父に話した。それを聞いた父はいたく不憫に感じ大粒の涙を流した、という話。鏡は光、光は過去、現在、未来、宇宙を結ぶ1本の線、娘が見たのは母の魂であろうというのが八雲の感想であった。古代より鏡には霊感、パワーがあると言われている。世界に鏡に纏わる神話や逸話が存在する。日本の神話にも、機嫌を損ねて岩戸に隠れた天照大神を外に誘き出す道具として鏡が使用された。鏡のお蔭で天孫降臨が果たされた。八咫鏡として草薙剣と八尺瓊勾玉の三種の神器とされている。そういうこともあり、日本では鏡は大切にされた。嫁入り道具には、家具調の三面鏡は定番であった。私の和室の部屋にも、妻のそれが置かれている。当初は使っていたが、段々使わなくなり、コンパクトな鏡や洗面所の鏡を使用するようになった。鏡には女性の魂が宿るというが、時代と共に変化しているのかもしれない。鏡を見れば気分が落ち着くという学説もある。確かに鏡に向かって穏やかな顔を作ろうとする。朝鏡の自分に向かって、「今日も頑張ろう」と言う人もいるだろう。鏡は自分の様子を探り、話しかける道具として重宝である。また、「子は親の鏡」とも呼ばれている。親の行いが子に反映するという例え。天国にいる親父から見て、今の自分はどう映るのだろうか。(2023・3・2UP)

 

   

 

欧州映画

欧州映画は昔から意味不明な終わり方をする作品が多い。最近ネットの映画サイトで観たフィンランド映画「オリ・マキの人生で最も幸せな日」(2019)もデンマーク映画「わたしの叔父さん」(2021)もベルギー映画「ともしび」(2021)もそんな風であった。ハッピーエンドの恋愛やヒーロー映画に慣れた者からすると違和感がある。これは欧州人の世界観、人生観、気質の影響もあるのかもしれない。物事や人間の営みは、単純に帰納法や演繹法などで測り切れるものではなく、複雑な連続性を有し、場や個人において捉えた方に違いがあるという個人主義に基づく考え方である。映画はテーマを投げ掛けるのが主たる役目で、テーゼ(正)、アンチテーゼ(反)、ジンテーゼ()は観客の判断に任せるという弁証法的な手法とも受け取れる。そこに人間社会のリアリズム、エゴイズム、ニヒリズム、アフォリズムも加味されるという寸法である。つまり映画においても欧州の思想文化の厚みと熟成を感じさせる。映画には娯楽性と社会性の両方があるが、全般的に日本映画はバライティー豊かで、面白くて刺激的で娯楽性が高い傾向がある。アニメ映画、コミック原作映画もその1つ。興業的にも成功する確率が高い。数年前に国民の貧富の格差を描いた韓国映画「半地下の家族」が米国アカデミー国際長編映画賞を受賞した。内容が過激であったが、昔の日本映画にも娯楽性を全く排除した社会性をリアルに描いた映画も結構あった。名監督の小津安二郎、溝口健二、黒澤明、木下恵介、小林正樹、新藤兼人、今村昌平の作品にも見られた。文芸作品を含めそれは映画の醍醐味であった。人間は社会動物であり、生きて行く上で様々な苦労や苦悩は付物である。それを表現することで映画の文化的な価値が生まれる。チャップリンの喜劇映画にも必ず社会性が織り込まれていた。観客は笑いこけながらも、無意識にそれを感じ取る。これまで数多くの映画を観てきたが、好んで観た訳ではないのに、社会性を含んだ映画の内容は今も胸に残っている。また社会性を含んだ日本映画が外国で高く評価され国際映画賞を獲得している。社会性が人間にとっていかにインパクトが強いか。欧州には、今もその映画文化の伝統が残っているように感じる。今後日本映画はどう進展して行くのか。故きを温ね新しきを知るではないが、映画の魅力、価値、影響を見つめ直す必要も感じる。それにしても、前出の「わたしの叔父さん」「ともしび」の深い哀しみを負って萎れた花のような女主人公2人は、この先どう生きるのだろう。再生か、消滅か。(2023・2・28UP)

 

 

安全な社会

今年の1月中旬から、家内が県の公共施設で週2回1日5時間働き始めた。昨年末にシルバー人材センターの所長から直々に依頼されたのである。家内から相談を受けたが、本人の意思に任した。息子にも相談した様であったが、同様であったようだ。施設で仕事の説明を受け半日研修を受けた上で、家内は「やる」と決心。辞めようと思えばすぐ辞められるそうだが、受けたからにはそうはいかない。楽な内勤仕事なのでそう身体の負担もないだろうし、「半分ボランティアのつもりでやれば」と励ますしかなかった。それにしても家内は毎日の家事、シルバー世帯の調査員や町内会の役員、夕方には仲良しグループとウォーキング、昼間はシルバープラザに出品する小物作りと仲間との交流、庭の手入れや花づくり、月2回程度の孫の世話など、74歳で仕事をリタイヤーし「毎日が日曜日」の日々を過ごしている私とは雲泥の差である。家内に限らず、地域の女性はみんな元気が良い。共稼ぎの家庭もまだ多く、地域活動(町内清掃・回覧板・見回り・行事催し)も女性の力よって支えられている。比べて、高齢者の男性は大きな手術をしたとかなにがしの病気を抱えている人が目立つ。近所の救急車の患者も葬儀も大抵は男性である。このまま行くと、地域は1人暮らしの高齢の女性ばかりになってしまう。最近は高齢者を狙ったオレオレ詐欺ばかりか、若い犯行グループによる押し込み強盗まで全国で起きている。私が住んでいる地域は近所付き合いや横の連絡は取れている方だし、近所に警察署もあり、夜間パトロールをしてくれているので、その点は安心だが油断はできない。情報機器の発達と核家族化と高齢化は社会に様々な不安要素を生み出している。「昔は家の戸締りなんかしたことがないわ」と家内は言うが、今はそういう訳にはいかない。各家が防犯機器を備えてガードする時代になってきている。誰がこんな世の中になると予想しただろう。ここまま日常的に犯罪が増え続ければ、日本の「安全神話」は風前の灯である。預言者モーゼが天の神から授かった十戒に「汝、盗む勿れ!」という文言が刻まれている。盗むという行為は他の犯罪も誘発する性質の悪いものという戒めである。マルチ商法やオレオレ詐欺や強盗は再犯率が高く、警察と犯人のイタチごっこが続いている。警察も大変である。国民が生活や社会活動をする上において、時代に即した法秩序は必須条件である。人生100年時代、1億総活躍社会に向けて国を上げて安全な社会の実現に向け努力しないといけないと思う。(2023・2・25UP)

 

 

 

EV車(電気自動車)

ユーチュブで、千葉県に住む男性が国産EV車(電気自動車)に乗って愛知県の実家までの450キロを往復する実証実験をする番組を観た。EV車の長所と短所が分かり易かった。長所は加速性に優れ音も静かで環境に優しい。短所は走行距離と受電時間であった。今回の場合も、メーカーがカタログ表示するフル充電走行と実際走行では、気温、速度、エアコン使用などの影響で数値に結構差が生じていた。行きはサービスエリアの90KW充電スタンドで1回30分充電を2回。帰りは渋滞に遭い3回充電したようであるが、充電だけで合計2時間30分ロスしたことになる。たまたま充電スタンドが空いていたが、混んでいれば更にロス時間は増える。EV車普及率の高い中国の充電スタンドで長蛇の列をなしイライラしているドライバーの様子の映像を観たことある。ガソリン車やハイブリッド車に戻る人も出るかもしれない。元々がガソリン車からEV車の移行は、技術進歩の流れからすると逆方向である。電気自動車は前からあったが、蓄電に難点があった。長距離可能なガソリンエンジン車は技術の粋を集めて出来上がったマシンである。CO2問題さえなければ今も優位な立場にある。EV車の推進役は環境意識の高い英国などの欧州諸国と、EV車で国際市場を狙う中国である。それにアメリカも追従し、一気に加速した。英国では2035年以降はガソリン車、ハイブリッド車は禁止という法律まで生まれた、EV車が抱える弱点は、国全体がコンパクトでインフラ整備の進んだ欧州や日本のような国なら十分にカバーできるだろうが、国土の広い中国、アメリカ、ロシア、インドや開発途上国や砂漠や寒冷地の国にとっては問題多発だろう。EV車に必要な電力は発電所で石油や石炭を燃やして作り出すからCO2の削減効果に疑問が残るし、蓄電のリチウムの資源と廃棄問題も関わる。トヨタは2014年からEV車と並行に水素を燃料としたエンジン開発に全力を上げていた。従来のガソリン車とEV車の中間車種として位置づけているようである。既に完成車も出来ており、総重量、走行キロ、水素容量タンクなどまだ課題があるが、水素フル充填3分、ガソリン車技術継承、排出は水蒸気、更に水素は無尽蔵に作り出すことが出来るという大きな利点がある。ドイツ、アメリカの世界大手の自動車メーカーも、水素自動車の開発に乗り出している。今後その流れが主流になる可能性もある。10年先の未来は日常使用のEV車とガソリン車機能を持つ水素自動車の併用した時代になりそうである。(2023・2・22UP)

 

 

 

網走番外地

夜酒をちびちび飲みながら録画した映画を観る。昔懐かしい東映の網走番外地シリーズもその1つ。当時の役者はクセ揃いで、みんな人一倍元気がいい。当シリーズは北海道の現地ロケが多く、大平原、大草原、大雪原、大森林、大湿原の中で、役者たちが縦横無尽に動き回っている。氷点下の雪嵐の中で、森林作業をしたり、馬で駆けずり回ったり、挌闘を繰り広げる。特に主役を務めた高倉健は、最初から最後まで出ずっぱりで、常にアクションシーンの中心で、並の体力では出来ない役を平然とこなしている。悪党どもが馬に繋いだロープを高倉健の手首に括り、大雪原の中を引っ張り回して行くシーンも、スタントマンは使わず本人が演じている。以前インタビューで、「役者の条件は?」と尋ねられた高倉健が、「体力でしょうかね」と答えていたのを覚えている。日々鍛錬に努め、健康管理に気を使い、撮影に臨んだ人であったことは確か。82才の時に文化勲章を受章した時の記者会見で、高倉健は「日本人に生まれて本当に良かったです。ほとんど前科者の役でしたが、一生懸命やればこんな御褒美を貰える・・・」と感無量で語っていたが、網走番外地シリーズ、唐獅子牡丹シリーズで人気を博し、日本を代表する大スターになった。もっともこの映画はチャンバラ時代劇と西部劇をモチーフに取り入れた、最後は堪忍袋の緒が切れて悪党どもをぶった斬る正義感のある役がほとんどであった。網走番外地シリーズは高倉健にとって役者人生を決する作品であった。またこの映画のお蔭で、オホーツク海沿いの最果の網走の町が全国的に有名になり、大勢の観光客が押し寄せるようになった。私夫婦も北海道旅行をした際に旧網走刑務所を見学したこともある。おそらくこの映画がなかったら、日本人の多くは網走の存在は知らなかっただろう。北海道開拓の労働力確保のために造られた旧網走刑務所なんて、知る由もなかったはずである。受刑者たちのお蔭で、開発を広げる鉄道や道路が出来た。その歴史を知る上でも、俳優高倉健のスクリーンでの活躍は意義のあるものであった。それにしても、当映画に登場するクセ揃いの役者たちを観ていると懐かしさを覚える。彼等が主役の高倉健を盛り立てた。後にそんな強面の役者たちが集まって「悪人商会」なるグループを作って売り出したが、すでに任侠・ヤクザ路線の映画は下火になっていた。テレビ向きでもなかった。今は大半は泉下の人となっている。旧網走刑務所内の敷地の片隅に当映画の記念石碑が立っている。それに気を留めるのは私の年代ぐらいまでか。(2023・2・20UP)

                                                                                       

 

映画「ファーザー」

 英国でサーの称号をもつ名優アンソニー・ホプキンズが認知症の老人役を演じた映画「ファ―ザー」(2020年)を鑑賞。映画を観て感動したのは「ニーチェの馬」(2011年)以来か(P47参照)。舞台は老人が暮らすロンドンの古いマンションで、最初から最後までアンソニー・ホプキンズ演じる老人の一挙手一投足と思考と感情の混濁がリアルに表現されていた。この映画で「羊たちの沈黙」(1991年)に続いて2度目のアカデミー主演男優賞を獲得。以前にも「冬のライオン」「遠いすぎた橋」「エレファントマン」の映画に出演し高い評価を受けていたようだが、強く印象を受けたのは、「羊たちの沈黙」の精神科医で猟奇殺人犯役。気品と知性と邪悪が入り混じったような容貌から滲み出る恐怖感は凄かった。続編「ハンニバル」もそうであったが、その後ノーベル文学賞のカズオ・イシグロの「日の名残り」の映画では、英国紳士風の老いた執事を見事に演じていた。資料によると英国のウェールズのパン屋の倅として生まれ、少年時代から舞台俳優を夢見て、ロンドンのロイヤル・アカデミー劇団でキャリアを積んだ実力派。彼の演技に対する持論は、「演技というのは絵空事であって、その要素はすべてシナリオの中ある」。つまり役者の役割は、シナリオを丹念に読み込み、自然に忠実に演じ切ることにあるという。日本の俳優で言えば、小津安二郎監督の「東京物語」の笠智衆、黒澤明監督の「生きる」の志村喬を思い浮かべる。両監督も脚本を重視し、役者の思い入れや余計な演技を嫌ったことで有名。これは演技論からすれば、古典手法と言える。最近は役者の人気や演技が目立つようになっているが、古典派から言わせれば「邪道」ということになる。これは脚本と役者の出来も関係していると思われる。特に役者のキャリアの問題である。演劇、劇団から鍛え上げた役者が減ってしまったこともあるだろう。「ファーザー」で現実世界から遊離した複雑な認知症老人を1人芝居のように演じきれるアンソニー・ホプキンズのような役者は、いまの日本で見つけ出すのは難しい。当映画のラスト、世話する娘の再婚で老人ホームの個室に入れられた老人が恐怖に襲われ、思わず「マミー(母ちゃん)」と泣き出すシーンは胸に来る。優しい介護士の女性の胸に抱かれ宥められる。幼児退行である。カメラはゆっくりターンして窓の外の青々と茂った樹木を映してエンド。この監督は小津映画のファンに違いない。数人の人間と部屋のセットだけでこれほどの映画を作れる英国の底力はさすがと思った。(2023・2・18UP)

 

 

応用技術について

 18世紀後半、既に手工業が発達していた英国で鉱山から流れる排水処理に蒸気の圧力を利用した機械が製造された。従来と違う所は、人間が作り出せる連続的な動力であった。その動力が職工の力で改良され機関車や紡績機などが製造され、英国は世界一進歩した金持ち国になった。英国の黄金期は長く続いたが、産業革命の波はやがてドイツ、フランス、アメリカ、他のヨーロッパに伝播し、19世紀以降の新技術や化学物質を生み出す原動力となった。国別に特性があって、化学と機械に強いドイツは染料に使う化学品や石油で動くエンジンを考案し世界初の自動車を作り、電気や開発やシステムに強いアメリカは通信機、電話機、電球、蓄音機や大型機械を発明し、大量生産システムを作り上げ、商業的に優位に立ち、その後新技術発見の立役者になった。この世界に跨る応用技術の拡大こそ、産業革命の真価であったと言える。その様はまるで、仕掛け花火に火が点いて、次々に花火が上がり、夜空が光の色で美しく染まる光景を見るようである。これは突然変異ではなく、古代ギリシャ文明から続く欧州の科学、哲学、宗教の集積から生み出された進歩の証であった。当時アジアの状況はどうであったか。多くは未開発で時の王朝が中途半端に支配するという停滞の空気に包まれていた。その中で特殊だったのが日本である。中世欧州で生まれ中世の日本にもあった封建制を、江戸の徳川幕府が再び採用した。封建制の特徴は日本で言えば士農工商の階級制と地方分権である。幕府は威光を翳し、藩を監視するのが主な役目であった。武士階級が治める各藩は互に競い合いながら藩政に勤めた。治安、財政、殖産、工業、教育、文化に力を注いだ。そんな中から、明治維新を起こして近代化を成し遂げる多くの若い人材が生まれた。日本の近代化は封建制から生まれた成果とも言える。因みに欧州の市民革命も封建制から生まれたものである。18世紀に起きた産業革命の波動はいまも続いている。エネルギー、物質、情報、環境と繋がっている。成熟に達したという意見もあるが、応用技術に関してはまだまだ裾野は広い。応用技術の得意な日本にもチャンスはいくらでもある。戦後日本が作り出した応用技術の製品は数多く、特にエレクトロニクス製品は世界を席捲した。戦前にテレビを世界で最初に開発したのも日本人である。日本で開発され世界中で使用されている自働改札機も電機会社の技師が小川に流れる枯葉の動きをヒントにした製品である。応用技術には閃きが大事である。改めて、沸騰する湯気を見て「蒸気には力がある」と発見した人物は偉いと思う。(2023・2・16UP)

 

 

 

バート・バカラックの訃報に触れ

 先日の新聞社会面の下隅にある訃報欄に、「バート・バカラック逝去・94歳」とあった。我々年代の洋楽ファンにとって、忘れられない作曲家である。ベテランのポール・ニューマンと若きロバート・レッドフォードが共演した映画「明日に向かって撃て」の挿入歌に使われた「雨にぬれても」の軽快な旋律は今も頭に残っており、歌うことも出来る。その他にも、バート・バカラックの音楽を多く歌った黒人女性歌手のディオンヌ・ワーウィックの「サンホセへの道」も忘れられない1曲である。それまでのヴィクター・ヤングやヘンリー・マッシーニなどが手掛けた音楽とは一線を画した独特のリズムテンポを加えたのが特徴的であった。音楽の手品師、天才と言ってもいい。同時に、バート・バカラックが音楽に込めた熱情は、当時のアメリカが持っていたムードの反映であったような気もする。既成の殻を打ち破る力に満ち、明日に向かって突き進むエネルギーが感じられた。当時60年代の日本でも、NHKテレビのバライティー番組「夢で逢いましょう」の中で坂本九が唄った中村八大作曲、永六輔作詞の「上を向いて歩こう」が大ヒットした。奇しくも「雨にぬれても」も「上を向いて歩こう」もアップテンポな明るい旋律が良く似ている。当時のアメリカも日本も似たようなムードがあったのかもしれない。その後、「上を向いて歩こう」は「スキヤキ」という題名で発売され、アメリカ人のハートを射止め、全米ヒットチャートのトップを100週続けるという快挙を成し遂げた。栄誉あるミリオン・エアー賞も獲得。アメリカも日本も共に良き時代であった訳である。その後アメリカと日本を結び付けるような大ヒット曲は生まれていない。あの時期を境に、アメリカも日本も様相を変えて行った。アメリカは人種差別反対を訴える公民権運動が広がり、ベトナム戦争が泥沼化し、若者の反戦運動も起こり始めた。一方高度成長を続ける日本でも日米安保条約の批准を巡って全学連による激しい反米運動が起こり、やがて全共闘が崩れカルト化し自滅する方向に進んで行った。大袈裟に言えば、音楽におけるアメリカと日本の双方向性はあの時分に切り離されたのかもしれない。ともあれ、バート・バカラックの音楽は、その後のアメリカ音楽に多大な影響を及ぼしたことは間違いない。形式やリズムに捉われない音楽が続々と生まれるようになった。バート・バカラックはその開花役を務めた人であったと言える。様々な人生を乗り越え音楽活動を続けて94歳まで長生きしたのは立派であった。ご冥福を祈る。(2023・2・14UP)

 

 

正常な資本主義

 日本社会から寛容性が失われつつある。余裕がなくなってきている。長引く不況に加え、新型コロナ、ウクライナ戦争の悪材料が重なり、相次ぐ物価の値上げ、サービス低下が追い打ちを掛け、国民生活が1段と厳しさを増している。ついに来たかという感じである。今政府が押し進めているインフレ政策によって企業収益が改善し、ベースアップに繋がるという目論みは大方は外れるだろう。現在の不況の実態はそんな単純ものではない。1985年の先進五ヵ国蔵相・中央銀行総裁会議の「プラザ合意」が引き起こしたダメージを今も強く引き摺っている。あの時以来、日本の資本主義の仕組みそのものが破壊されたのである。空白の時代と呼ばれる低成長のデフレ経済で、賃金も上がらないが物価も上がらないという均衡を保ってきただけの話である。前安倍政権も岸田政権も、「新資本主義」を打ち出し、この均衡を打ち破るべき成長戦略を打ち出したが、中味は古い経済理論を踏襲しているものでしかない。大幅な金融緩和や公定歩合を引き下げても効きを目がないことを見れば、長期不況の最大原因は日本産業界の国際競争力の低下にあることは明らかである。国債と貿易収支の赤字の増加がそれを胆摘に示している。植物の枯れた土壌にいくら水や肥料を撒いても無駄。新たな苗を見つけ、水と肥料をやり育て、果実が生まれるのを待つというプロセスを踏まない限り、この不況を脱することは厳しい。産業界にとっての水と肥料はマネーである。マネーがなければ設備投資も技術開発も営業展開も出来ない。戦後大企業に成長したソニーもホンダも、零細の頃から銀行が細かく面倒を見たからである。バブル崩壊以降、第二のソニー、ホンダが生まれたか。日本発の優秀なベンチャー企業が誕生したか。バブル経済の崩壊で巨額な負債を抱えた銀行は、わが身を守ることで精一杯で、パワーもノウハウまで失ってしまった。戦後の高度成長を支えた昭和世代が稼ぎ出した巨額なマネーを国内の産業振興に向けず、米国債や株投資や不動産に投資し、プラザ合意による極端なドル安円高と株価と地価の暴落でその大半を失ったのである。第二の敗戦と言われる所以である。当時主導的な立場にあった政府、大蔵省、日銀の無能ぶりは万死に値する。今政府がやるべきことは、銀行の抜本的な建て直しである。正常な資本主義の活動が円滑に出来る環境を大急ぎで整えることである。銀行においても、浮利を追わず、堅実に実利を求める信用の回復が強く求められる。日本の資本主義の父、渋沢栄一の精神を一から学び直す必要があると思う。(2023・2・12UP)

 

 

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