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ゴルフ談義

 もう無理と分かっていても、ゴルフが無性にやりたくなる。青空の下、緑に包まれ、ボールを飛ばし、丸い小さな筒に入れる。「コロン」という音も心地良い。ゴルフは遊びとスポーツのエッセンスが詰まっている。スポーツ全般そうであるが、特にゴルフは基本が大事。自己流だと上達に時間が掛かるし、悪いクセが付いてしまう。最初はレッスンプロに習うのが賢明。姿勢、アドレス、グリップ、テークバック、インパクト、フォロースルーの基本形を身に付けることが肝腎で、それなくしてはプレーが出来ない。ゴルフの難しさは、斜め下の地面に止まった直径42.67mmのボールを細いシャフトの付いたクラブで屈んで打つという、他のスポーツにはない変則的な動きが要求されるからである。パワー、テクニック、正確性、頭脳、ルールも大切な要素。それらが合わさって人間性が表れるスポーツと言われる。10年付き合っても分からない相手も、1回ゴルフを一緒に回るだけで分かる。性格がプレーの隅々に現れるのだから仕方がない。ゴルフで一緒に回る相手をパートナーと呼ぶが、1番困るのはプレーの遅い人。下手は許せるが、クラブ選びやパットに時間を掛けるタイプ。中には上から下から横からラインを読み、そのあげくキャディーにフックかスライスか聞く。入ればいいが大きく外す。「ゴルフをおちょくっているのか?」。ゴルフをはじめた頃に先輩から教わったのは、「何回叩いてもいいから、プレーを早くしろ」であった。18ホール一緒に回るパートナーのリズムまで狂わしてはブー。プロの試合は遅延行為は罰が科せられるからそういうケースは稀だが、素人同士はよくある。1度こんなことがあった。OBボール(圏外に飛んだボール)を探しに松の林の中に消えた相手がなかなか出てこない。やっと現れたら手にした4、5個のロストボールを自慢げに見せた。「おい、ゴルフはマッタケ狩りじゃないぞ!」。今年の日本女子プロトーナメントは、優秀選手の多くが米女子プロに参戦した関係で団子状態である。何年も優勝経験のない選手が勝つケースも増えている。それはそれで面白いが、優秀な選手が次ぐ次に米国に渡り、日本女子プロゴルフ界が歯抜け状態になりつつあるのは寂しい気もする。米国は欲張りな国である。ことごとく優秀な人材を奪い取ってしまう。仕方ないと言えばそれまでだが、なんとなくなんとなく。とは言いながら、米国はやはり大物の国である。組織、運営、環境、指導、管理、戦略がとても優れている。誰が大統領になろうが、米国の基盤システムはしっかりしていると感じる。(2024.5・4UP)

 

 

気分直し

4月28日に行われた衆議院補欠選挙は、長崎,島根、東京15区で立憲民主党の候補者3人が当選した。かっての民主党政権の悪夢が甦る。それもこれも、自民党がだらしないのが原因だが、何度同じことを繰り返すのか。気分直しに、寝床でアイパッドを開き古今亭志ん生の落語「猫の皿」「冨久」を聴く。志ん生と言えば「火焔太鼓」が1番人気であるが、名作揃い。目を瞑って聴くと、1つ1つの場面が面白おかしく浮かび上がる。少しトーンの高い生っ粋の江戸弁はテンポがあってキレがある。志ん生は大きな転機を経験した人である。若い時分は話しぶりが固くて、少々怖いイメージで人気はさっぱりであったらしい。本人も噺家を辞めて講談師になろうかと迷った時期もあった。それが戦争で兵隊に徴集され、戦地でいろいろ揉まれて人間の幅が生まれ、帰国してから語りに独特の味が出せるようになり、人気が一気に高まった。いわば遅咲きであった。同年代のやはり名人の誉の高かった6代目三遊亭圓生も、「真剣勝負すれば、志ん生に負ける」と語ったほど。志ん生は兵隊時代にどんな経験をしたのか。寄席の高座からは見えなかった生々しい現実であっただろう。明日の生死も分からない極限状態に置かれた人間の悲喜こもごもの姿に触れ、新しい世界を発見したのであろう。志ん生の落語には、ある種の開き直りがある。そこから人間の業を巧みに描き出す。庶民の哀歓が滲み出る。聴衆も敏感にそれを感じ取る。また志ん生は謡曲の名手でもあった。志ん生の「大津絵」を聴いて皇室教育係を務めた慶応義塾大学学長の小泉信三はいつも泣いたという。私は小泉信三の戦死した息子を偲んで書いた「海軍主計中尉小泉信吉」を読んで涙した。今は知識人や文化人は沢山いるが、ものの憐れを理解し、それでいて強い信念と教養を感じさせる人物は少なくなった。時代が人間を作るということであれば、現代社会は情報に翻弄され忙し過ぎる。政治家の話をすれば、全般に小粒になった。世襲議員を始め経歴も似通っており、人間の魅力を感じる政治家は本当に少なくなった。それは政治にも表れている。政治も転機が必要である。明治の近代革命は、明治政府が実施した有能な人材で組んだ欧米使節団の視察旅行が転機になった。世界視野に目覚め、「立憲君主」「富国強兵」「殖産興業」という1等国となるべき国家スローガンを生み出した。今の国会議員は夜郎自大に陥り、自由化と国際化の波に飲まれ、国民に媚びる見え透いた政策に走り、重要な国の針路も見いだせない状態にあるように思う。(2024・5・1UP)

 

 

蜘蛛の糸

物価が上昇している。庶民は安売り広告を睨み、生活防衛に努めている。片方で政治家は裏金作りに精を出している。庶民のことなど眼中にない有様である。聞くところによれば、日本のサラリーマンの所得はこの30年間ほとんど上がっていないという。消費税を含む税金と社会保障費が上がり続け、実質可処分所得はむしろ下がっているという。昭和40年の頃までは、高齢者世帯は2000万円の預貯金があれば、年率5%(10%の時もあった)として年間100万円の余剰利益が得られ、年金の足しになったが、バブル経済崩壊以降の超低金利によって全く当てが外れてしまった。しかも年金制度も税金控除も段階的に厳しい方向に進んでいる。「一体、日本はどうなってしまったのか」。1番の原因は政治家と官僚の劣化である。2番は国民の政治や行政に対する無関心である。これを突き詰めれば、戦後日本を統治したGHQ(連合軍最高司令部)の「日本人を骨抜きにする」という目的で実施された改革の成果が、戦後教育を受けた世代が主流なり表れてきたと言える。戦前と戦後の世代との決定的な違いは国家像と愛国心である。GHQより自虐史観を植付けられ戦前の日本を悪く言うが、今一度よく考えてみるべきである。アジア極東の島国であった日本は、短期間で近代化を成し遂げ、やがて欧米列強と匹敵する軍艦も潜水艦も飛行機も自前で作り上げた。つまり優れた工業技術力を持っていた。更に戦後の焦土と化した日本をわずか20年足らずで米国に次ぐ世界第二位の経済大国に押し上げた。その原動力は戦前の教育を受けた世代の力の結集であった。戦争中の神風特攻隊のゼロ戦基地のあった鹿児島県の知覧特攻平和会館、人間魚雷の回天基地のあった広島県江田島の元海軍兵学校の教育参考館には、犠牲になった若者たちの遺した手紙が数多く展示されている。彼等の国、親、兄弟、友人に寄せる熱い思いに触れると胸が打たれる。その思いのエネルギーは凄まじいものがあった。戦争にもそのエネルギーは使われたが、戦後の日本の復興と平和と繁栄にも如何なく発揮された。そのことの分別を日本人は持たなくていけない。またそうすることで、彼等の思いに報いることが出来る。このまま行けば、日本は衰退する。国の政治や行政を司る人たちの国家像も愛国心もあやふやなでは力強く前に進めるはずがない。芥川龍之介が描いた「蜘蛛の糸」の状態である。私利私欲のエゴ剥き出しの足の引っ張り合いが目立つ。糸が切れたら終いである。今の日本はそんな危ない状況にあると思う。(2024・4・28UP)

 

 

小学時代

 この春小学校に入学した双子の孫も、元気に通い始めているようである。ピョンピョンと跳ねるランドセルが目に浮かぶ。自分の小学時代を思い浮かべる。親が仕立てくれた金ボタン付の黒い学生服を身に付け気が引き締まった。入学式の受付で自分の名前を丁寧に書いた。上手いと先生に褒められた。校庭の満開の桜の下で着物姿の母親と記念写真を撮った。父が自慢のローライの二眼レフで撮ってくれたのだろう。二宮金次郎像の築山の前に建つ黒っぽい瓦葺板張りの木造2階建校舎は風格が滲んでいた。教室の北側は直線の長い板廊下で、滑りながら歩いた。拭き掃除はいつも競争であった。入学してすぐに番長になり、家来を引き連れ天下気分の毎日。悪戯して廊下によく立たされた。1年の運動会のリレー競争で2番目にバトンを受け取り、そのまま折り返しで走り観客を大いに沸かす失敗をやらかした。下校を過ぎても学校のグランドで草野球や相撲などをして遊んだ。図工や音楽が好きで、小学唱歌はいまも覚えている。海での水泳大会ではトップを競った、遠足では常に隊長に選ばれた。高台の校舎から眺める白砂青松の瀬戸の景色は素晴らしかった。ぼんやり眺め先生によく叱られた。学芸会の「安寿と厨子王」の時は人攫いの親玉の役であった。番長は小学最後まで続いた。同窓会で「怖かったわ」とかっての女生徒が言うのだからそうだったのだろう。別府の修学旅行も忘れない。地獄巡り、高崎山の猿、遊園地、宿泊ホテルでは枕投げしてハシャギ回り、先生から目玉を喰らった。学習は宿題をする程度で成績は中の上ぐらいであった、机の配置換えは最後まで好きな女の子の傍に行けなかったのが残念。卒業式で「螢の光」「仰げば尊し」を合唱した時は全員が大粒の涙を流した。先生の何人かも泣いていた。思い出をいっぱいくれた小学校は今は無人の校舎になっている。地方の小学校の廃校のニュースがよく流れるが、卒業生にとってはつらい話である。大事なアルバムの写真を剥ぎ取られる感じ。小学時代に共に学び、遊び、心を育んだ日日は、生涯忘れることが出来ない。楽しかった思い出は数珠玉のようにある。自我が目覚め始める多感な時期だけに猶更である。再び生まれ変わることが出来ればあの頃に戻りたいと思う程である。慎ましい生活の中に明るく自由で心地良い空気に溢れていた。その後テレビが登場し、社会の様相が変わり始めた。当時評論家の大宅壮一がテレビ社会を「国民総白痴化」と批判した。当たっていたところもある。時代は変われど、孫たちにも小学時代の楽しい思い出をたくさん作って欲しいと思う。(2024・4・26UP)

 

 

 

藪の中

名前は伏すが、日本のある有名知事の学歴が問題になっている。月刊誌が知事の元側近であった告発記事を発表したのが発端。過去にも学歴詐称の噂が持ち上がったが、本人が留学した外国大学の卒業証明書(写)を公表し、一旦収まった。それが再燃した形である。不思議なのは今回この問題を新聞もテレビもほとんど報じない。ネット番組では連日大々的に取り上げている。物事の真相を見極めるのは存外難しい作業である。過去に黒澤明監督が、芥川龍之介の小説「藪の中」と「羅生門」をミックスした映画(題名「羅生門」)を世に送り出した。内容は1人の武士が山中で殺された事件を巡って、役所の取り調べで目撃者と関係者の証言がそれぞれ食い違い、最後まで真相が分からないままに終わる。「天網恢恢疎にして漏らさず」とはいかない。その不条理と人間信頼の大切さが描かれていた。証言は人間の記憶と心理と思惑が加わる。状況証拠を固めるしかないが、それも確実とは言えない。真相を知っているのは当事者ということになる。それも嘘を押し通せば,真相は藪の中である。ここで問題になるのは政治家としての資質と人間性が問われていることである。真相を知る由もないが、もし誤魔化しているのであれば大いに問題がある。行動に不信が生ずるし、全体が不利益を被ることにもなりかねない。「過ちて改めざるを、これを過ちと謂う」。告発者もネットの意見もその1点に尽きる。「火のないところに煙が立たない」とあるように、人間の目は節穴ではない。特に責任ある人に対しては「おかしい」「変だ」という疑惑の目は常に注がれている。人間社会が公平、公正、正義を求める最大の理由は自らの国や社会の秩序を守ることに他ならない。虚偽や不正が罷り通る社会は危険極まりない。「悪貨は良貨を駆逐する」で滅びてしまう。その大前提に立てば、今回の新聞とテレビの対応は理解に苦しむ。既に問題解決していると決め込んでいるのか、何かの忖度が働いているのか分からないが、世の中の情報を公平、公正に伝えるというメデァの役目が軽視されている。物事を判断するのはメデァ側でなく一般国民である。ましてや情報は広範囲にネット化してきている。新聞、テレビ離れも起きている。国民が知りたい情報、見たい番組が少ないからである。特に新聞は古い体質のままである。健全な民主主義の発展にとって宜しくない。「ペンは武器より強し」の正義感を持って欲しい。今日の日本の政治家の劣化も国際地位の下落も新聞、テレビの影響も多分にあると思う。(2024・4・22UP)

 

 

禅と精神

 今も時々部屋で坐禅を組むが、先頃その途中で自分が父と母と交互に成り代わるという不思議な感覚を味わった。父は分かるが母は女性である。私の中にある母の遺伝子が呼び起こしたのかもしれない。父母に対する思慕が幻覚となって現れたのだろう。いわば夢の一種である。夢と言えば、今でも東京の夢を時々見る。それも人工物と騒音に溢れた東京の街中を彷徨い、1刻も早く抜け出したいという焦燥に駆られるものである。18才から24才まで東京で過ごした青春の楽しい記憶は少しも出てこない。分かることは最後の方は東京での慌ただしい生活や性に合わない仕事に嫌気が差していた。それらが夢に影響を与えているのだろう。人間の心は意識、無意識に動いていることの証明である。思えば、東京脱出は自分の人生の中で大きな転機であった。どんな人にも転機は訪れる。「あの時が転機であった」と思えることは1つ2つはあるはずである。転機には環境に伴う心の変化が左右する。分かれ道を前に決断が迫られる。理性と感情と勘が入り混じる。その選択が一概に正しいとは言えない。額面通りに行かないのが人生である。逆にそうだから生きて行ける。先の見える人生なんて味気ない。超えることが出来ない時間の中で今を生きるしかない。それが人の世である。変な話をしたが、坐禅と言えば、一頃ブームになったが、最近はあまり話題に上らなくなった。坐禅を組む余裕も時間もなかなか確保することが難しい。与えられた便利な暮らしの中で好き勝手に過ごす時間も長くなり、脳がそのように固まってきている風にも見える。それではデカルトの「我想う故に我在り」の近代科学の目も開かないだろうし、ニュートンの木から落ちるリンゴの万有引力の発見もなかっただろう。時に坐禅を組んで、自分を無にすることで、瓢箪から駒のようにインスピレーションが沸いてくる。禅師の鈴木大拙と親交のあった京都大学教授の西田幾多郎は銀閣寺近くの琵琶湖疎水沿いの小道を散歩し、「純粋経験」という哲理を見出す。これは禅の影響もあったと言われている。その京都大学から数多くのノーベル賞学者が誕生した。それも1200年の都だった京都の持つ独特の雰囲気もあるように思う。時間や情報に縛られない自由ではんなりとした空気の中に身を置くことでスピリチュアル(超自然的)な感覚が甦り、何か新しいものを発見する。それは学界に限らず京都発祥の有名企業の独創性にも表れている。今日の知識や情報に重きを置く環境において、禅のような精神教育の必要性を強く感じる。(2024・4・19UP)

 

 

閉塞感打破

 かなり前になるが、利根川進博士が1987年に生理学・医学部門でノーベル賞を受賞したことは今もよく覚えている。それまで日本人がノーベル賞を貰った物理、化学とは違う部門であった。利根川博士の研究を記した「精神と物質」を読んだがチンプンカンプンであったが、ヒトの細胞、遺伝子、DNAの仕組みを化学的に研究する分野であることは分かった。利根川博士は細菌ウイルスを使って抗体が生まれる多様なメカニズムを解明し免疫学で功績を上げた。その約25年後先輩を引き継ぐように山中伸弥教授がiPS細胞を人工的に作り出すという快挙を成し遂げ、同じく生理学・医学部門でノーベル賞を受賞。iPS細胞を医療に応用すれば、皮膚、骨、臓器、卵子も作り出すことが出来るという画期的な万能細胞の発見であった。若返り、不老不死も丸きり夢の話ではなくなった。この日本人2人の学者に共通するのは、既に欧米で解明されている基礎研究をベースに改良、工夫を重ねて新しい発見を導き出したことである。そこには運もあるが科学者としての執念が感じられる。利根川博士は本の中で、「自分は頭は良くないし記憶力も弱い。その分頭に余裕があり勘が働く」と冗談で語っていたが、未知に挑戦する熱意と根気は凄いものがあった。日本のロケット技術に貢献した糸川英夫博士が書いた「復活の超発想」によれば日本人の発想はWHY(なぜ?)よりHOW(いかに?)が得意という。HOWも研究や技術開発には重要な要素である。戦後の日本の驚異的な経済発展も、産業分野で日本人が生み出した技術製品が世界で売れた面が大いにあった。その勢いがここ2、30年止まっている印象である。利根川博士も山中教授も進取の気風に溢れ、若い頃にアメリカの大学に留学した経験を持つ。自由の精神と環境設備の整ったアメリカのフィールドで自身のスキルを磨き上げた。逞しい勇気を感じる。今それを感じるのは米国大リーグで活躍している大谷翔平選手を代表とするスポーツ選手ぐらいか。今の日本社会を見ていると、偏差値重視の受験戦争がある一方で歪な平等主義が蔓延し、異才、異能、変わり者が排除される傾向が強くなった空気を感じる。出る杭は打たれる、長いモノには巻かれろで、井戸の蛙のように狭い世界に閉じ籠っているようにも見える。データーの捏造や論文盗用も取り沙汰されている。この閉塞感を打破しないといけない。今後知的作業はビッグデーターを駆使したAI(人工頭脳)が行う時代が来ている。更なる日本人によるイノベーション(革新的進歩)が求められると思う。(2024・4・16UP)

 

 

茶番な政治劇

 静岡県の川勝平太知事が、新入県職員を前に職業差別とも受け取れる訓辞をして、結果として任期途中で辞職する事態が起きた。川勝知事は会見で、差別は誤解で撤廃はしない、リニアモーターカー問題に一応のケリが付いたので辞職を決めたと述べ、最後まで自画自賛の態度は崩さなかった。経歴を調べると早稲田大学政治経済学部卒、オックスフォード大学で博士号を取得、早稲田大学教授、国際日本文化センター副所長、静岡文化芸術大学学長と申分のない経歴である。静岡県民の多くが支持したのも分かる。ただ気になるのがこれまでの数々の失言から察する学者気質の鼻持ちならないエリート意識である。リーダーとしては困ったタイプである。静岡県民も薄々感じ始めていただろうが、それが今回の発言によって、一気に爆発したかたちである。試験で選ばれた新入県職員は県政のシンクタンクとなる人材であることは確かであるが、県の財政や経済や生活を根本から支えているのは県民である。「訳も分からず上から目線で何を言うか」と怒るのは当然である。川勝知事の言動には指導者と労働者を区分する共産主義と相通ずるものも感じる。しかし、今回の辞職の背景にあったのはリニアモーターカー問題の方が大きく影響をしていると感じる。この数日前に、JR東海が会見で首都圏と中京圏を結ぶ超電導リニア中央新幹線の開業が当初の27年予定から34年以降になると発表。遅れた原因は川勝知事が持ち出した大井川水系の水問題であったことは周知の事実。静岡工区のトンネルで河川の水が減る、生態系に狂いが生ずるとJR東海に苦情を申し立て、工事をストップさせた張本人である。ならば学識を活かして問題追及を図るべきではなかったか。勝手に幕引きしたような印象は残る。結局は批難の的を怖れての辞職であったように思う。これは東京都の築地市場を豊洲市場に移転する際に土壌汚染の話を急に持ち出し、移転を遅らせた小池百合子都知事と瓜2つ。調査で安全と分かり、小池都知事は「安全であるが安心ではない」と迷言を吐いて移転を認めた茶番劇であった。その小池都知事も今月号の文芸春秋の記事でカイロ大学を卒業したという学歴の偽証疑惑が再浮上している。元側近の男性の告発である。不思議なのは小池都知事の対応である。卒業が真実なら、告発者を名誉毀損で訴えるべきなのにそれはないようである。卒業は既成事実とし、むしろマスコミの注目を利用しているようにも映る。今の日本は国政にしろ県政にしろ富士山のように気高くすっきりしないのが残念である。(2024・4・13UP)

 

 

電力政策

 電力の安定確保は国の最重要課題。日本も様々な動力源を使って電気の確保に務めている。近年地球温暖化が問題視され、脱炭素社会に向け再生エネルギーによる電力が脚光を浴び、各国で太陽光パネルの使用が推奨されるようになった。現在の日本は国土割合で太陽光パネルの普及率が世界一という。背景には2011年に起きた東日本大震災による福島原子力発電所のメトルダウン(炉心溶解)によって、全国の原発の多くが停止に追い込まれたこともある。この事故は原子炉の冷却装置に送る電源が津波によって破壊されことから起きた。予備の電源確保が出来ていれば防げていた。しかし、この事故により日本の電力事情は著しく低下する破目に陥った。政府が強いリーダーシップを発揮することなく電力会社や地域住民の動きに任せていている、これではいつまでたっても再開の目途は立たない。その間、国や国民が蒙る損害は甚大である。政府が推進する太陽光パネルだが、当初は賛同したが、色々知る内に疑問が湧いてきた。日本の自然環境を破壊しているし、供給の面でも不安を抱えている。太陽が出ている時だけ発電し夜間は全く稼働しない。日中でも曇や雨や雪の日は機能が大幅に低下する。使用する消費電力とは噛み合わない。消費電力がオーバーすれば大停電を引き起こす。太陽光パネルの比重を高める政策は危ういと感じるようになった。しかも製品の多くは中国製ということである。中国は少数民族の安い労働力を使って多量に生産し世界に輸出している。欧米では中国製の太陽光パネルの輸入を制限している。しかし日本は大量に輸入している。国はその費用を電気代に上乗せし国民に負担させている。先日鹿児島県伊佐市でメガソーラー発電所で火災事故が起きた。感電の危険があるので放水による消化活動が出来ないので全焼を待つしかなかったようであった。火が可燃性のあるパネルや周囲の山林に拡がっていたら大惨事であった。メガソーラーは米国のような広大な砂漠地帯を持つ国ならいいが、日本のような国土の70%を占める傾斜地の多い山々では危険性が伴う。加えて太陽光パネルは破損や処分の際に有害物資を排出するという。既に山口県岩国市の錦川上流の奥地のメガーソーラーを設置した山から流れる水が汚染されているという情報もある。環境面と防災面に問題がある。これまで太陽光パネルのプラス面だけが宣伝され、マイナス面に関しては余り周知されていないのが現状ではないか。そんな場当たり的な国の電力政策では将来的に国の弱体化を招くと危惧する。(2024・4・10UP)

 

 

老子の教え

中国の道教の祖と呼ばれる老子(紀元前571470)は多くの人生の教訓を残している。その代表が「上善は水の如し」。人間は水のように生きるべきという教え。水は上から下に自由自在に流れて行く。その様を見習えと。人間は生きて行く上において、様々な困難に出合い苦労を重ねるが、あるがままの自分を受け入れ、本来持っている自分の力を活かして生きることが大事と諭す。威張らず、争わず、傷つけず、身を低くして、万事物事に対処する。「柔よく剛を制す」である。仕事で悩んでいた30代後半に老子の本に触れ、肩の力が抜けたような気分を味わった。「自分はいかに肩を張り神経を尖らして生きているか」と気づいた。曲がった木は折れにくい。高く飛ぶためには低く屈むべき。他人を優先することで回りが見えてくる。無用と思えるものもよく観察すれば大事と分かる。瓶は中が空だから有を生ずるなど、それまでとは逆転の発想に近いものであった。会社役員の職を辞し独立して自営する契機にもなった。自分らしく生きよう・・・。老子はまた、女性のような生き方が理想と説いている。本心で女性の方が男性より強いと認めていたようである。女性の柔弱さの中には、老子の説く処世術が詰まっている。女性は世の出来事を達観して見ているところがある。男性が女性の生き方を見習えば、世界の様相も少しは変わったものになるかもしれない。物質文明には限界が目立ち始めている。成長路線を突っ走ってきたが、その間多くの破壊と犠牲を払ってきたことは確かである。未来に向けて新たな世界観を示すパラダイム(規範)が生まれても良い。権力、モノ、金が支配する世界は春秋戦国時代に生きた老子が忌み嫌っていたことであった。万物の霊長を自慢する人間も、所詮は自然界に生息する動物の一つ。万物の支えがなければ生きながらえることは不可能である。氷河期が訪れれば大半は死滅するだろうし、巨大な隕石が落下して地球環境が破壊される可能性もある。宇宙尺度からすれば、人間が地球で天下を張った時間は一瞬に過ぎないだろう。謙虚に慎ましく生きる中で精神の喜びを感じることが出来る平和な社会が理想である。老子は「欲望の充足には限りがない」と欲望の暴走を戒め、禍の多くは足るを知らないことから起きると忠告している。私の後半生において、老子の教えはかなりの影響を及ぼしたように思う。参考―「老子」(守屋洋・PHP)・「老子の思想」(張鐘元・講談社)・「道教百話」(窪徳忠・講談社)・「老荘を読む」(蜂屋邦夫・講談社)・「諸子百家」(貝塚茂樹・岩波文庫)。(2024・4・7UP)

 

 

春本

新聞の川柳欄で、孫が来るので写真集を隠さないと、という内容の句があり思わず笑った。エッチな写真集なのであろう。一時期ヌード写真集やビニール本がやたら流行ったことがあった。どの書店も専用コーナーがあって、男たちがコソコソと買い求めていた。当時私も女優のヌード写真集を買ったことがある。それ以外にも北斎、歌麿、豊国、春信などの江戸の浮世師が描いた春画の復刻文庫、大正昭和の艶本、インドの性典「カーマスートラ」、中国道教の「房中術」など少々マニアックな秘本を収集していた。この種の本は大体が隠して持っているものである。昔知り合いの名士が、自分の車のトランクにその種の本や裏ビデオをバックに詰めて隠し持っていたのを可笑しく思い出す。自分は70才の頃にほとんど古本屋に持って行き処分した。風俗文化的にも希少価値がありもったいないことをした。殊勝にも「飛ぶ鳥跡を濁さず」で人間臭いものは残したくないと思ったのである。今も女優の写真集だけは戸棚の奥に仕舞っているので孫に見つかる心配はないが、アイパッドは用心しないといけない。家に来ると勝手に持ち出してゲームをする。いつ覗いたのかアイパッドの4桁の暗証番号を知っている。間違ってアダルトサイトを開いては大変だ。油断も隙もない(苦笑)。しかしここまでインターネット情報が氾濫してくると、その境界線も危ういものである。子供もスマホを持つようになるとどこまでガードできるか。ユーチュブのBAPASHOTAのアメリカレポートでは、虔敬なキリスト教徒が集団で暮らしている州地区やユダヤ人が多く住むニューヨークのブリックリン地区では、子供にスマホを持たせないという話である。大人も古いガラケーしか持たないようである。猥らな情報で秩序やモラルが壊されるのを防ぐのが目的のようだ。面白いのは両方とも多産系である。子供5〜6人いるのが普通で、独自の性モラルを保ち子供の数を増やしているようである。また著名なIT企業の創業者は自分の子供にはスマホは持たせないという話も聞いたことがある。これも心身の健康を心配してのことのようだ。その点活字や写真の紙媒体は他愛ないものである。やがてヌード写真集も春本もなくなるかもしれない。それらに触れた男たちはもはやガラパゴス世代である。広範囲に可視化された情報社会はある意味味気ない。春本とは言い得て妙で、秘め事だから胸ワクワクという面はあった。春の気分を呼び起こす。男も江戸川柳の「朝立ちや小便までの命かな」になっては仕舞である(寂)。(2024・4・5UP)

 

(春画)*wikiより 

 

不動産業

 日本では土地建物のことを「不動産」と呼ぶ。物件は不動だが、売買や交換によって所有権を移すことは出来る。私は50年以上その仕事に携わった。24歳で転職の時に不動産業を天職に決めたことは間違っていなかったと思っている。不動産業は多くの法律が関係する。取引に関しては、不動産登記法、区分所有者法、借地借家法、宅地建物取引業法、消費者契約法、国土法・地価公示法がある。開発及び建物に関しては、都市計画法、建築基準法、宅地造成等規制法、消防法。それ以外にも環境防災関連や地区条例がある。売買契約書の書類は10枚以上に及ぶ。しかも宅地建物取引士の国家資格を取得しないと業務は出来ない。違反すれば罰則が科せられ、不動産免許が取り消されるケースもある。更に不動産免許は5年毎の更新が必要で、その都度監督官庁から審査を受ける。宅地建物取引士も5年毎に更新講習の義務がある。放置すれば失効である。日本で不動産に纏わる事件やトラブルが少ないのは法律や制度が厳しいこともある。不動産業は時代と景気に大きく左右される。高度成長期、サラリーマン家庭の年収も年々鰻登り、誰もが自分の家を持ちたいというムードが全国中で起きた。戦後の人口増加が後押しをした。その頃私は地場大手の不動産会社に勤務して開発を担当していた。山林や農地を買収し宅地造成する仕事である。遣り甲斐があり不動産業のイロハを学ぶには最適であった。その後営業に移り、宅地や建売やマンションの販売にも携わった。最後は会社の役員になったが銀行から借金を重ね拡大路線を計ろうとする社長と意見が合わず39歳の時に個人で不動産業を立ち上げた。建売業者、ハウスメーカー、ゼネコンを相手に土地の仲介を主な仕事とした。仕事は順調に進んだが、途中で国の誤った経済政策でバブル景気が起きた。不動産が単なる転売目的の商品にされてしまった。「こんな馬鹿なことが続くはずがない」と思っていたら、4、5年で崩壊した。不動産業界は惨憺たる状態に陥った。私も大いに煽りを喰った。取引先が国の金融引締政策で不動産の買付がほとんど出来なかったからである。田舎物件を扱う仕事もしたが、労多く実りの少ないものであった。不動産業は扱う金額によって利益に差が出る。不動産業を通じて日本社会の変化を肌で感じながら74歳の時に息が切れるように看板を下した。最後の免許番号は(9)であった。振り返れば「夏草や兵どもが夢の跡」である。今景気が良いのは大手の都市開発会社か富裕層向けのマンション業者ぐらいか。天職も結局は時の運という話である。(2024・4・3UP)

 

 

「錨を上げよ」

 百田尚樹の自叙伝的な上下1200ページに及ぶ長編小説「錨を上げよ」を読み終えた。青春小説というジャンルから言えば、J・D・デリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を下敷きに描いた作品にも思えたが、読み進むにつれその枠はとっくに超えていた。大阪の下町で4人兄弟の長男として生まれ育った主人公の作田又三という頭は良いが無分別で恋多い浪花男の破天荒な半生である。重なり反復も多いが、年齢と共に舞台が広がり面白い展開があり興味が繋ぎ止められる。主人公が小学、高校、大学、社会人として生きた昭和30年代から60年代の時代背景が時系列で巧く表現され、懐かしさを覚えさせてくれる。あの激動の昭和のダイナニズムが主人公の無鉄砲な生き様と結び付いているとも言える。当時は主人公の作田又三のモデルは珍しいものではなかった。高度経済成長も、高学歴社会も、自由資本主義も本格化し始めた時代であった。諸々なことが、青少年の心を不安的にしたことも確か。明るい未来は予感出来ても、自分の立ち位置が見いだせないで苦しんだ若者は大勢いた。親の期待を裏切り反社会運動にのめり込んだ若者もいた。街中には薄汚いヒッピー族、フーテン族もいた。石原慎太郎が「太陽の季節」で描いたリッチな湘南の不良グループもいた。青春群像は多種多様であった。作田又三は、その漲るパワーを喧嘩、放浪、交友、セックス、恋人、危なげな仕事に振り向け、その都度傷つき、哀しみ、絶望に苦悶しながら生き続ける。人生に海図なんてない。自分の力を頼りに野生の虎のように生きるだけ。金も名誉も関係ない。欲しいのは自分が生きている形而上の証である。つまり暗中模索のエゴイストである。愛する女たちから裏切られるのも無理もない。作田又三の人物像を見ていると、こじつけながら老子の道教の世界を思い浮かべる。エリートたちに仁義礼智の道徳を教えた孔子とは真逆で、老子は庶民に強かに生きる処世術を説いた。知識や理論よりは人間としての大事な「道」を見出す教えを説いた。作田又三もその求道者でなかったか。「錨を上げよ」は暴力や不道徳なことが一杯書かれている。しかし、青年期に読むには、人によっては人生の示唆を与える価値がある。同じような価値観を共有する画一化した現代社会の中では、力強い個人主義を育てるには良い教材になる。地中のマグマが地表に噴出し、やがて青々とした大地を形成するように、作田又三もいつかは錨を上げて大海原に乗り出し大器晩成を遂げるだろうと予感させる。百田尚樹渾身の貴重な作品であると思う。(2024・3・30UP)

 

 

 

リスク管理

 「好事魔多し」「晴天の霹靂」「人生一寸先は闇」は、事態の急変を示す言葉である。記憶にある所では、広島県出身の有望な中堅のK衆院議員とその妻が参院選挙で初当選を果たした時、夫婦2人は絶頂期にあった。しかしその後すぐに公職選挙法違反の贈賄事件が発覚して2人とも引責辞任する破目になった。まさに天国から地獄である。また最近では、米大リーガー(MLB)の大谷翔平選手の通訳を長年務めていた水原一平氏に違法賭博の容疑が持ち上がり、所属のドジャース球団から突如解雇されるという事件が起きた。10年間1000億円の超破格の条件で球団契約を結び、美しい奥さんとの結婚を発表し、さあこれから開幕スタートという段階で明るみになった厄介事である。大谷選手はその後に開いた共同記者会見で事件の関与を全否定していたが、資金の流れなど不透明な点もあり今後の調査の結果を見なと分からない。背景には伏線というか原因があったことも確か。急にどこから降って沸いたものではない。水原一平氏はギャンブル依存症という話である。更に学歴詐称も明るみになった。一方大谷選手は少年時代から野球一筋で生きてきた純粋なスポーツ選手で世間知に関してはやや甘さがあったかもしれない。そこに油断というか落とし穴が潜んでいた可能性も考えられる。アメリカは、有名芸能人や一流スポーツ選手に対するマスコミの目線は厳しい国である。過去にもマイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストン、タイガー・ウッド、マイク・タイソン、マイクロ・ジョーダンも標的になった。有色系はスケープゴートにされる割合が高い傾向にある。スターを持ち上げるのも上手いが、バッシングも苛烈である。その反面、アメリカの精神の中には、根幹にフェアー(公正)があることも忘れてはならない。多民族が共存するアメリカをまとめ上げて行く上において、1番必要とされるものである。一流人の資格とは功績もさることながら人間的に評価できることが最低条件である。大谷選手は、その厳しいアメリカ人の心を掴んでいただけに、今回の事件は残念である。超一流になればなるほど自分の身を守るリスク管理が必要である。セリフコントロールには限界があり、自分の行動、発言、周囲の状況を高い立場でアドバイスしてくれる有能なスタッフを置くべきである。常在戦場の気持ちでやって行かないと足元を掬われることになる。日本が生んだ大谷選手は今や誰も憧れる大スターである。こんな事件で、世界の球界の宝が傷つくことがあってはならないと思う。(2024・3・28UP)

 

 

生前墓

 6年前に購入した墓地に生前墓を建てることにした。自宅から車で10分程度、山麓にある墓地からは市街地と瀬戸内海の美しい景色が望める。建てるに際し、墓の型をどうするか、石を国産か外国産にするか、色目をどうするか、宗派をどうするか、予算をどの程度にするかなど下準備が必要である。ネットで色々調べたり、有名石材店の展示墓を覗いたり、実際の墓地を見て回る。広島県は浄土真宗の安芸門徒が多く、南無阿弥陀仏を刻んだ和墓がずらっと並んでいる。その中に西欧の墓を模したコンパクトな洋墓も所々に混じる。係員の説明では、最近は洋墓を選ぶ人が増えているという。宗派に捉われず自分なりの墓を建てたいという人が増えていているようである。和墓と比べて石の量が少なく割安で、管理もし易いことも影響しているのかもしれない。墓に自分の好きな文字を入れることも出来る。そのことにより、洋墓のある一角は従来の墓地のイメージとは違った雰囲気が漂う。当初私は和墓を考えていたが洋墓もいいと言うので、業者に2種類の見積もりを依頼した。両方とも納骨室は広いスペースがあり、100年は大丈夫そうである。墓の歴史を調べると、日本では誰もが自由に墓を建てられるようになったのは大正時代以降という。寺院がその墓地を提供するようになり全国的に広まったらしい。墓地の歴史はそんなに古いものではない。最近は先祖の墓を終うケースも増えているようである。1番の理由は墓の維持管理が出来ないことである。墓を大事に維持するには墓守りが必要である。我が家も先祖代々の立派な墓が千葉県の寺の墓地にあり、長男の父がその役目を引き継ぐはずであったが山口とは距離が遠くて難しいので、父の代の時に3人の兄妹で協議して祖父の遺した土地と家を千葉の叔母に譲る形で話が決まり、現在も亡くなった叔母の親族が墓守りをしてくれている。それもいつかは墓終いをする時が来るだろう。墓地は所有権ではなく永代使用権である。墓終いをすればそれで終わり。あれこれ検討した結果、標準的な和墓に決めた。建立は5月末の予定である。生前墓と言えば、以前食事会をした時、自分の墓を建てたと自慢に話す友人がいたのを思い出す。家の近くにあるので夫婦で毎日のように参っていると嬉しそうに話していた。変な話と聴いていたが、その気持ち分かる気がしている。世間では墓を建てたらすぐ亡くなる人もいれば、逆に長生きする人もいるという話であるが、どちらにしても、自分の永眠場所が決まるのは安心は安心である。(2024・3・25UP)

 

 

労働の価値

 「人の一生って何だろう」、今更ながら青臭いことを考える。誰もが母親の胎から生まれる。その後は違った環境で生きて最後は誰もが死ぬ。同じなのは最初と最後だけである。生きる環境には時代、親、家族,教育、性格、能力、体力、欲求、努力、運など様々な要因が重なる。まさに「禍福(人生)は糾える縄の如し」である。徳川家康の「人の一生は重荷を負い遠い道を行くが如し」という格言もある一方で、夢や希望を抱いて明るく生きるという要素もある。それは時代背景も大きく左右する。私が生きてきた戦後の昭和、平成、令和は数々の天災に見舞われたが、平和と豊かさに包まれた時代であったと言える。私の前の世代は戦争で亡くなった人も大勢いる。生まれるのが少し早かったら、私も同じ運命だったかもしれない。人の一生は不公平なものである。そうかといって、長く生きればいいかと言えば、そうとも言えない。若くして亡くなった中には輝く業績を残した人も大勢いる。問題は中味であろう。何も偉業や成功に結び付かなくても良い。社会の一員として精一杯自分のため、家族のため、社会のために働くということで十分である。その総和が国の力に繋がる。人は社会と交わってこそ人である。社会から見放されたら萎れてしまう。特に男性はそういう傾向がある。現実的な話をすれば、日本の雇用制度には定年が設けられている。現在は65歳というのが普通のようである。欧米の状況を調べると、定年は法律で禁止されているか廃止されているケースが多い。ドイツやフランスは70歳が一般的なようである。つまり働く意欲と能力さえあれば、日本より長く働くことが出来る。日本でも定年後に再就職する人もいるが、同じ環境でキャリアを活かして働き続けるのとでは気分的にも違うだろう。まして日本人の平均寿命は外国と比べて高い。65歳定年はもったいない気がする。定年後の自由で気楽な時間を楽しむことはできるが、あくまでも個人の選択である。それでも定年後の社会から切り離された侘しさは生じてしまう。病気や死に脅え小心翼々と生きることにもなりかねない。それが10年も20年も続くとなれば考えものである。国としても労働者不足を招き、年金や医療の負担も増すことになる。今の日本における歪な現象は国が社会主義化の傾向を強めているせいではないか。それが国の活力を削ぐ原因にもなっている。GDP(国民総生産)の低下を見ても明らか。労働の価値を見直さないと、日本は借金ばかり増えて斜陽の国になってしまうのではないかと思う。(2024・3・21UP)

 

 

近況話

 家内が市植物公園で蘭の小さな鉢を2つ貰ってきた。毎年蘭展に行われる講習と先着100名限定の無料配布である。家内は仲良しグループに誘われ年間510円の入園パスを利用して、無料配布に一緒に出掛けるようになった。少し前にあったカープグッズの時は4日間続けて通い、帽子、シャツ2枚、バスタオル、アームカバーを手に入れた。ある種のゲーム感覚である。蘭は白地に薄紫と橙色の小さな花であったが、居間に飾ると存在感が引き立つ。蘭に限らず花は美しい。地球上で花がなかったら味気ないものであったろう。花は神様のプレゼント。四季の花々に恵まれた日本は幸運な国である。今年も桜シーズンが到来する。一番華やぐ季節である。それを愛でに世界中から観光客が訪れる。最近英国の有名旅行雑誌が発表した「高い費用を使っても行く価値のある国」で、日本がベストワンに選ばれたという。歴史、文化、観光、景色、娯楽、交通、食事、サービスのいずれも優れているというお墨付き。日本人としては嬉しい限り。そんな世界で人気の高い日本だが「日本は素晴らしい国」と認識している人は割合少ないように感じる。謙遜なのか、当たり前と思っているのか、あるいは自虐史観のせいか。もっと日本の素晴らしさを分かって欲しい。自分の国を誇りに思うことは万国共通である。誇りに思うからこそ、国を大切にもっと良くして行こうという意識が生まれる。「日本は素晴らしいが、貴方の国も素晴らしい」が世界のスタンダードである。相手も喜び、誤解を生むこともない。家内はその土曜日、孫2人の卒園式に嫁のお母さんと参加。スマホで記念写真を見れば、2人は行儀よく写っていたが、女の子は相当緊張している様子で可笑しかった。4月には晴れて2人は小学生。人生の大きなステップを踏み始める。長男の嫁も看護士を一時辞め当面は家事に専念するようである。我が家に来る回数も減るだろう。期待と寂しさが交錯する。息子の話では、男の子には週一度の将棋教室に行かせ始めたという。落ち着かせる目的もあるようである。今月末には孫2人が通うピアノ教室の発表演奏会が市のホールで開催される。家内もその日を楽しみにしている。更に孫2人は続け様に九州別府の家族旅行をして、嫁のご両親の招待で一緒に四国のレオマワールドに行く予定。家内はその合間を縫って自分で運転して福山の実家に2年ぶりの里帰り。玄米一俵を貰って帰ってきた。毎年春めくこの時期は好きであるが、2年前の2回目コロナワクチン接種後に陥った私の体調不良は変わらずである(苦笑)。(2024・3・18UP)

 

   

 

稀代の歌手

NHKのラジオで知ったが、今年は「シャンソンの女王」と呼ばれた越路吹雪さんの生誕100年に当たる。今の若い人たちは知らないだろうが、私の世代ぐらいまでは彼女の活躍をよく知っている。独特味のある歌と踊りで観る者を虜にしてしまう魔力があった。スケールが大きく、表現力が豊かで、ダンスも巧く、ユーモアとナイーブさを備えた稀代の歌手でありエンターテーナーであった。宝塚歌劇団の男役でコアな宝塚ファンの人気を集めていたが、名作詞家の岩谷時子と組んでシャンソンを歌い始めてからファンが全国的に広まった。代表曲が「愛の讃歌」「サン・トワ・マミー」である。日本人向けの作詞で愛の素晴らしさを歌い上げる内容である。彼女の口からは発せられる言葉の1つ1つが泉のような味わいがあった。昭和3、40年代の日本ではシャンソンが人々に広く愛されていた。本場のモンタン、アダモ、ピアフ、グレコなどのシャンソンも普通に耳にすることができた。日本のシャンソン歌手の芦野宏、高英男、美輪明宏、淡谷のり子、石井好子、金子由香利、岸洋子も人気があった。若手の上手い歌手であった菅原洋一や加藤登紀子の歌もどこかシャンソン風であった。シャンソンは日本人の心とうまく溶け合っていた。哀歓があり、明暗があり、語り口調で日本人の感性に響いた。歴史的にも日本の平安時代の雅な文化とフランスの浪漫時代の甘美さはどこか共通したところがあった。池田理代子の漫画を宝塚歌劇にしたフランスを舞台の「ベルサイユのばら」は紫式部の貴族の男女の恋を描いた「源氏物語」と相通ずるところがあり舞台は絶賛を浴びた。もともと宝塚は19世紀のフランス巴里の有名キャバレーであったムーランルージュのショー舞台を模したものである。タカラジェンヌが脚線美を誇るように踊るラインダンスはフレンチカンカンの亜流とも言える。一時期宝塚とシャンソンは日本とフランスの交流の懸け橋であった。56才の若さで世を去った越路さんの舞台を1度は観たかったが、プラチナチケットで簡単に手に入るものでなかった。「越路さんの歌は引力がある」と言われ、最後までファンが離れなかった。昨年宝塚は劇団内でパワハラ事件が発覚し評判を落としたが、再度結束し日本のエンタメ界をリードするスターをこれからも輩出して欲しい。即席,モノマネの多い時代において、宝塚は日本が誇る文化遺産に匹敵する。越路吹雪さんの遺志を引き継ぎ、「清く正しく美しく」をモットーに歌劇、歌、ダンスで日本を明るく照らし続けて欲しいと思う。(2024・3・14UP)

 

{越路吹雪}*wikiより

 

開発競争

 「やっぱり、これからは電気自動車(EV)か」と長男に聞いてみた。電力関連企業に勤めている息子は、「そうなるだろうね」という返事であった。日本の自動車メーカーが蓄えてきた内燃機関の優れた技術が消えることになるのかと想像すると、勿体ない気がしてならない。交通博物館に展示されている蒸気機関車と同じ運命になるのか。地球温暖化から温室効果ガスのCO2の削減が国際的に大命題となり、過剰反応を見せる欧米諸国の意向によって、2035年までにCO2を排出する自動車は全面禁止すると発表された。日本にとっては寝耳に水に近いものであっが、日本政府もそれに従う姿勢を示した。中国は千載一遇のチャンスと捉え、国を上げてEV車の開発に取り組んだ。新規企業も加わり一気にEV車大国にのし上がった。EV車は電気モーターを車体に積むだけで動くという比較的に簡単な構造である。電気を貯めるリチュウムバッテリー等に必要な希少鉱物も中国は潤沢に保有している。スタートからして日本はハンデを負わされた形である。現在の世界のEV車市場は、米国のベンチャー企業のテスラと中国の自動車企業の大手BYD他中国系3社が1位から5位のシェアーを握っている。販売シェアーはコストに影響し、日本の日産、トヨタ、ホンダのEV車は苦戦を強いられている状況である。今後、EV車の弱点である走行キロ数、充電時間、バッテリー性能、寒冷地対策の改善は進んで行くと思われ、脱炭素に向けてEV車が先行することはほぼ確実であろう。日本が挽回するには、トヨタが開発したHV車(ガソリンと電気の併用)を広く普及させ、中間車種の価値をもっと世界に認めさせる。その間にEV車用の全固体電池など高性能なバッテリーの開発と、水素を使った燃料電池自動車(FCV)や水素エンジン自動車の技術開発を進めることである。水素自動車は性能的にEV車に勝る。内燃機関の技術も継承出来る。難点は水素(H2)は扱い難い物質で、実用化に向け更なる技術革新が必要である。日本はこれまで世界に貢献する新技術、製品、部品を数多く生み出してきた。必要なのは経営の神様と称された松下幸之助が説いた「熱意」であろう。日本は一旦方向性が定まると、それに向けて協力して力を発揮するところがある。企業の存在価値は、利潤が大前提であるが、世界の平和と人間の暮らしを豊かに幸福にするという理念なしでは成り立たない。日本がその熱意を失わない限り、今後も自動車をはじめ各産業分野の開発競争を勝ち抜くことが出来ると確信する。(2024・3・11UP)

 

 

中国を考える

香港は1997年に中国に返還された以降、中国政府の管制で「一国二制度」も崩れ始め、当初は自主化を求める市民デモが頻発したが、現在は不気味な鎮まりの中にある。現在の中華人民共和国が誕生したのは1949年。2世紀半続いた満州族の清王朝が崩壊し、欧米列強が進出し主要都市は無政府状態に陥った。麻薬が蔓延し中国人は半ば奴隷のように扱われていた。当時上海を視察した毛利藩の長州ファイブはその光景に接して非常なショックを覚えた話は有名である。中国各地で反乱が起き、西側が支援した蒋介石率いる国民党軍と毛沢東率いる共産党軍が戦闘を繰り広げた。地の利に勝る農民層で結成された便衣兵の共産党軍が国民党軍を南部に追い詰め、蒋介石は台湾に逃亡し、毛沢東の共産党が全土を掌握することに成功。しかし、国が安定するまでは多難に満ちたものであった。共産党政権に背く人民は悉く粛清された。共産党員になる資格審査は厳しく、党員はエリートに伸し上がる。農民は試練に耐えることが出来たが、大地主、富裕層、都市住民、知識層にとっては苦難に満ちたものであった。自己批判を迫られ、洗脳を強要され、駄目なら農奴として辺鄙な地方に送られるか処刑された。毛沢東の殺害は6000万人に及ぶと言われている。ソ連のスターリンの2000万人の3倍である。今の中国の要人の多くは、壮絶な革命運動を勝ち抜いてきた末裔である。中国の経済成長を導いたカリスマ指導者のケ小平が推進した改革開放路線が続く現在でも、国の主要な政策は党の全国代表者が集結した全人代(一院制議会)て決定する。中国の動きが読み難いのは、その集団指導体制にある。これが世襲独裁の北朝鮮と違う。中国が押し進める中華思想と共産主義体制に基づく覇権主義は続くと見ないといけない。香港やチベット、新疆ウイグル自治区は懐柔され、台湾もいつ攻められるか分からない。中国が崩壊する要因があるとすれば経済問題であろう。広大な国土と15億の国民を支えるのは大変。それが狂うと反乱が起き国が滅びる。そしてまた新たな国が生まれる。易姓革命と呼ぶが、中国の歴史はその繰り返し。歴代の隋、唐、宋,元、清の時代は異民族が国を支配した。多民族の中で漢民族が勢力を伸ばすことが出来たのは「漢字」の力と言われている。文化、教養、宗教、情報、教育、試験の基本に漢字があった。それが国の紐帯の役目を果たしている。ともあれ、今後の世界を占う上で中国の経済が重要な鍵になる。当面は東側と西側の熾烈な競争が続くだろうと思う。(2024・3・7UP)

 

 

日本の行方

百田尚樹氏が昨年10月に立ち上げた政治団体「日本保守党」のネット動画を観続けている内に、いつしかファンになった。それまでは映画「永遠の0」の原作者程度しか知らなかった。彼の小説を立て続けに読んでみた。「海賊と呼ばれた男」「幸福な家族」「カエルの楽園」「風の中のマリア〕「プリズム」「フォルトゥナの瞳」「殉愛」「永遠の0」「錨を上げよ」。党発行の「日本保守党」(百田尚樹・有本香共著)も買って読んだ。いずれも特色があって面白かったし、共感も覚えたし、自分が思い付いたテーマを地のまま素直に書かれている印象を受けた。中には「犠牲の精神」をテーマにしたものもあった自身が発信するネット動画では関西人特有のジョークや笑いを提供し、脱線することもしばしばあるが、愛国心に溢れた純粋な人柄に思えた。同時に一般の尺度では計れないスケールを合わせ持っている感じ。そんな人物が立ち上げた「日本保守党」、「日本を豊かに、強い日本を取り戻す」をスローガンに掲げた重点政策も同意する点も多い。支持する知識人や有名人も多い。試に先日家に来た45歳の息子との雑談で、「日本保守党はなかなかいいじゃないか」と話を向けてみた。即座に「ダメだよ」と反対された。「どうして?」「陰謀論に嵌っている。言っていることも妄想に近い」と容赦もない。確かに中国、ロシア、北朝鮮、イスラム、移民に対しては厳しい。「でも、支持者も多そうだし、選挙では善戦するのではないか?」「いや、すぐに他の新党と同じように内部分裂を起こすと思うよ」と言い切る。「お前は左寄りだからな」と言うと、「そうじゃないよ。愛国心は大事だと思うし、憲法改正も必要と考えるし、今の自民党には腹を立てている。ただ日本保守党はどうも信用できない」と答えた。これをジェネレーションギャップと捉えるかどうかは別に、私のように信用する者もいれば、息子のように懐疑的に見る人もいる。それが一般社会の姿というか常識なのであろう。それ以上は話はしなかったが、日本保守党と他の新党との違いは、有名作家の百田尚樹と名古屋市長の河村たかしと同副市長の広沢一郎と辣腕ジャーナリストの有本香の党幹部4人はいずれも60歳以上で知識も豊富で実績を重ねてきている。地位も金もあり敢えて「火中の栗を拾う」必要のない人たちである。その人たちが義憤に駆られ今の政界に殴り込みを掛けようとしている。ネットと既成メディアの浸透度の差はあるけれど、日本の行方を占う上でも今後の日本保守党の動向を注目したいと思う。(2024・3・5UP)

 

 

気晴らし一泊旅行

 今年はうるう年。4年に一度2月が1日増える。儲かったのか損したのか分からないが、年金暮らしの年寄りにはあまり関係ない。その2月の終わり、久しぶりに家内とマイカーで山口県光市方面に一泊旅行した。自宅から2時間足らずの距離である。家内は毎日の家事、週2回の公共施設の5時間の内勤パート、町内会の役員仕事、仲間たちとの交流、シルバープラザ用のグッズ作り、月に何度かの孫の世話など忙しい日々を過ごしている。そんな家内の慰労もかね、当日朝思い立った。美しい御手洗湾と象鼻ヶ岬を眼下に望む亀の井ホテルに宿泊し大展望風呂(温泉)と海鮮料理を堪能した。翌日は長島の上関公園に行き満開の河津桜を愛で、何度も大釣りしたことのある波止場でアジのサビキ釣り。私はルアーを少し投げただけ、風が強く釣果はゼロであったが、家内は久しぶりに竿を出しそこそこ満足の様子であった。前回ここで、山口県は観光的に素晴らしいと宣伝したが、県東南部の下松、光、柳井を結ぶ瀬戸内沿岸部ものんびりゆっくり観光するには最適である。関東の陽光豊かな湘南、江の島方面と似ている。この地が気に入り過去2度下松市の笠戸島ハイツに泊まったことがある。黒川紀章設計の宇宙船を思わす斬新なデザインでヒラメ料理が絶品であった。そこが閉鎖され、今回は隣の光市の亀の井ホテルを選んだ。「光」には「素晴らしい」という意味がある。当地は日本初代首相の伊藤博文と日ソ中立条約の外務大臣の松岡洋右の出生地。隣の田布施町からは明治維新に貢献した木戸孝允、山縣有朋、戦後の平和と繁栄を導いた岸信介、佐藤栄作の兄弟首相を出している。偉人輩出の地である。昼間散策した豪勢な山門と雪舟の庭で知られる普腎寺を中心とした江戸時代に北前船で栄えた昔ながらの海商通りの雰囲気も良かった。浜に下り貝堀りの真似事もした。子供時分にタイムスリップした気分であった。笠戸島から室積半島、周防大島に至る一帯の周防灘の景観は秀逸。この地の海水浴場は日本でもトップクラスに入る。青々とした松林と白砂が長く伸びる室積海岸、虹の浜海岸、ハワイを思わすヤシの木が生える周防大島の片添ヶ浜はピカ一。山口県人は奥ゆかしいからあまり宣伝しないが、県内には日本の歴史・文化・風景・人物が今も色褪せず沢山残っていることを嬉しく思う。都道府県人気ランキングで山口県が低い位置にあることが信じられない。人口の少なさも影響あるのだろう。ともあれ良い気晴らしになった。身体が弱り以前のような旅行は出来ないが、近場の小旅行は楽しみたいと思っている。(2024・3・3UP)

 

  

 

 

 

 

 

選挙制度の見直し必要

選挙制度は政治家の質に影響を与える。1996年の国政選挙で新進党の細川護煕.内閣の時に改正した小選挙区比例代表制が実施された。二大政党制を目論む小沢一郎らの新進党幹部らの計略であったと記憶する。結論から言えば、この選挙制度で日本の保守政党である自民党が弱体化し、小党乱立を招き政治家の劣化に繋がった。また、こんな選挙制度では投票率の低下は避けられず、有望な新人の国会議員は生まれ難い。地盤、看板、鞄を持つ世襲議員が有利になる。現在の自民党議員の約3割は世襲議員と言われ、政治家が「家業」になっている。世襲は若い時期から出馬するので当選回数が増え、党の要職に就くケースも多い。大臣の半数以上を世襲議員が占めるのも珍しくない。世襲の多くは実社会の経験に乏しく、政策答弁も官僚に依存し、政治哲学や国家観や国際感覚も希薄で、代々の地盤を守ることだけに努力する傾向が強い。これでは日本の政治が良くなる訳がない。この30年間、消費税は段階的に上がり、社会保障費の負担率は1.5倍に膨らみ、労働者の可処分所得は30年前より低くなっている。日本の停滞を招いた原因は、間違いなく選挙制度における政治家の劣化である。自民党が弱体化し公明党と組んでからは金をばら撒く政策が目立つようになった。創価学会を支持基盤に持つ公明党の政策や国家観は掴み難い。更に選挙目的に霊感商法で知られた旧統一教会と手を結ぶ自民党議員も続出。本来自民党が掲げる自由で平等で豊かな民主主義とは真逆である。今の自民党を眺めていると、安倍晋三政権の時は何とか持ち直したが、軒を貸して母屋が取られる状態になりつつある。日本の伝統、文化、秩序を無視した移民推進策やLBGT法がその最たるもの。自分の選挙のことしか頭にない自民党議員たちが省益拡大を狙う官僚と手を組んで日本を駄目にしている。政治の腐敗や官僚の堕落は日本だけの問題ではないが、今の日本の状況は酷過ぎる。政策面においても周回遅れを繰り返し国益を損ねている。自民党結党以来の目標である憲法改正も本気で取り組もうとはしない。国防の要である自衛隊も宙に浮いたまま。自民党議員は選挙を心配し裏金作りに精を出している。民間が頑張っているから持っているが、このまま政治家の劣化が続けば、財政赤字だけ増え続け、日本丸は座礁してしまうのではないかと本気で心配する。ちなみに小選挙区比例代表制を採用しているのは先進国の中では日本だけである。民意を反映しない現行の選挙制度を中選挙区制に戻すべきと思う。(2024・3・1UP)

 

 

 

魅力ある山口県

今年1月にアメリカのニューヨーク・タイムズが「2024年に行くべき52か所」を発表した。その中で山口市が世界で3番目に選ばれたと知り、山口県人としては嬉かった。古くから「西の京都」と呼ばれ国宝瑠璃光寺、五重塔、雪舟庭園、大内人形、山口祇園祭を代表とする歴史文化と美肌の湯で有名な湯田温泉などコンパクトシティながら高い評価を受けたようである。山口県の魅力は山口市以外にも沢山ある。本州西玄関口の下関市、関門海峡、唐戸市場、下関水族館、赤間神宮、長府毛利邸、角島大橋、元乃隅神社、東後畑棚田、青海島、萩城下町、秋吉台・周防洞、長門峡、宇部常盤公園、防府天満宮、周防大島、柳井町並、岩国錦帯橋など目白押し、温泉も湯田、湯本、川棚、俵山、三俣、萩、湯野、大城など特色ある名湯が点在。加えて県を3方囲む穏やかな瀬戸内海、響灘から延びる北長門の澄んだ青い海、青海島から萩東部一帯に広がる雄大な日本海も素晴らしく、観光のバリエーションに富んでいる。隣の福岡県や広島県のようなビッグシティはないが纏まり具合に優れている。面積6112Ku(全国27位)、人口130万人足らずの小さい県なのでマイカーを使えば楽に観て回ることが出来る。気候も穏やかで食べ物も美味い。海産物も農産物も特産品も豊富。山口県人はシャイで、声高に自分たちの自慢を言わない所があるが、分かる人には分かるというのが、今回のニュースである。これを機会に内外から山口県を訪れる人が増えることを期待している。人が観光する1番は興味だろう。それは人類の発展と結び付く。新しい発見を求め行動を広げたことで全地球を制覇した。近年SNSの発達により、「ここは面白い」「ここの景色は最高」「ここの料理は絶品」と誰かが発信すれば、たちまち大勢の人が「よし、行って観よう」ということが日常事になってきている。オーバーツーリズム(観光混雑)を起すことになるが、それは受け入れ側が上手に管理する必要がある。分散化を図るのもその1つ。北海道、東京、京都、奈良、大阪、広島、福岡、沖縄だけが観光地ではない。47都道府県にはそれぞれ特色ある名所を備えている。今回、ニューヨーク・タイムズが山口市を取り上げてくれたが、日本の観光面のポテンシャリテーは高い。北から南に弓状に延びる島国は変化に富んでいる。超近代化した大都市もあれば、自然と共存する奥深い田舎もある。その落差だけでも面白い。日本人の私でもそう思うぐらいだから、外国人観光客はそれ以上であろう。このブームを地方活性化に活かして欲しいと思う。(2024・2・27UP)

 

  

(山口市瑠璃光寺五重塔)              (秋吉台)           (岩国錦帯橋)*以上3枚wikiより

 

 

読書感想

 百田尚樹の小説「永遠の0」を読んで何度も涙した。映画の時も涙が出たが、神風特攻隊の話は身につまされる。戦争で死ぬのは仕方がない、しかし、特攻隊の死は理不尽で無惨であった。多くは将来有望な学徒など若い青年たちであった。その数356機に及ぶ。当時命令を下した軍首脳部は士官学校卒のエリートである。実戦には参加せず、大本営の中で作戦指揮を執った。軍備と兵隊を駒のように扱い、勝利に結ぶ付ける作戦を練り、軍隊に指令を出すのが主な責務である。それはどの国の軍隊でも同じだが、異様なのは、敗戦末期に若い兵隊を爆弾に仕立て、戦闘機ごと敵の軍艦に突撃させる作戦を考え出したことである。終盤苦戦に陥り軍首脳部の感覚が麻痺したとしか考えられない。あるいは、軍首脳部の中に「武士道とは死ぬことと見つけたり」という山本常朝の「葉隠」の死生観が根付いていたのであろうか。サムライは命を懸けて主君を守ることを使命とする。特攻隊員をサムライに仕立て、国を守るため死んでくれと送り出したのであろうか。そこには合理性も戦略的な知見もない。それを「大和魂」というのであれば、それは断じて違う。単に理性の破綻でしかない。小説にも書かれているが、1932年5月15日に起きた海軍将校の反乱、1936年2月26日に起きた陸軍将校の反乱の時から始まっていた。「天皇を頂点に軍が日本の最高位にある」という増長したヒエラリキー(階級)が作り出され、新聞メディアも戦意高揚を囃し立てた。国を軍国主義の方向に向かわせたという背景があった。満州を征服し、中国大陸、東南アジアに侵攻し勝利を収める内に、軍首脳部は天皇が有する統帥権(最高指揮権)まで侵犯するようになった。日米開戦も軍首脳部の主導で開始された。日本人は走り出したら止まらない民族という。先の戦争末期の悲惨な状況がそれを物語る。沖縄が陥落し、2個の原爆が投下され、大都市が空襲で焼き野原になる以前に負けを認めるべきであったが、軍首脳部の暴走は止まなかった。特攻隊はその犠牲者である。司馬遼太郎が記した本にこんな逸話がある。幕末に欧米視察を終えた幕臣に召し上げられた勝海舟に重臣たちが「情況はどうであったか?」と尋ねると、勝は平然と「欧米では偉い人が上にいます」と答えたという。日本の問題点は常にそこにあるよう思う。特攻隊で生き残った裏千家の千玄室さんの話では、特攻志願した仲間たちはそれぞれの故郷に向かって「おかあさ〜ん」「おかあさ〜ん」と叫んでいたという。海に消えた多くの御霊に贖罪と感謝を捧げたい。(2024・2・24UP)

 

(若き特攻隊員たち)*wikiより

 

映画鑑賞

 朝の気温が16度、このまま春を迎えれば、「今年の冬はなんだったのだろう」と拍子抜け。あちらこちらから河津桜の便りが届く。気分の良さもあって、昨日ロングラン上映している宮崎駿監督の長編アニメ映画「君たちはいかに生きるか」を観に行った。映画館に足を運んだのは10年ぶり、やはり宮崎駿監督の「風立ちぬ」以来である。大の宮崎アニメファンということになる。映画の評判はネットで知っていたが、どこか「千と千尋の神隠し」と同じような映画を連想し、強いて観なくともという思いがあった。観た感想はやはり「千と千尋の神隠し」と同じ類型に属するものであった。主人公が少女から少年に代わったぐらいである。現実世界と別次元の世界を通じて試練を味わい大人への成長を計るという点も似ている。宮崎駿監督の頭の中には、どうしてもこのような現実と仮想の世界が切っても切れないのだろう。おそらく多感な子供時代に養われた感性だろう。やはり天才脳である。テーマは人の命、経験、成長、平和、家族の大切さである。それが自由自在に色鮮やかなアニメ技法によって描き出されている。124分の上映時間は少々長い気もしたが、劇的な展開続きで何とか面白く観終えた。結論から言えば、この長編アニメは、宮崎駿監督のアニメに対するアイデァや技術も含めて集大成のような作品であったと思う。私はふと黒澤明監督が晩年に撮った「夢」というオニムバス映画を思い浮かべた。1話1話に黒澤監督の映画表現における深い思が込められていた。そこでもテーマは人の命、平和であったところも似ている。お二人の年齢は30近く違うが、共に戦前生まれで、苦い戦争を経験している。そこには独自の世界観や死生観を持っていたことは想像出来る。つまり戦後生まれ育った世代とは違うタイプの日本人であったと言える。また彼等の作った映画の価値はそこにあるように思う。今回の「君たちはいかに生きるか」は、人生の哲学的なテーマの投げ掛けと場面設定が英国スコットランド風でよりグローバル的な魅力を備えている。画風も具象派、印象派、超現実派のタッチが織り込まれ、中には私の好きなウィリアム・ターナーの海景画を思わす場面もあった。加えて日本の文化や自然の美様式も巧みに描かれていた。映像を観るだけでも十分に満足出来る。日本のアニメーターたちの腕は素晴らしい。外国でも高い評価を受けるのではないかと期待する。宮崎駿監督の「もうこれで最後」は嬉しい裏切り、元気である限り作品づくりを続けて欲しい(笑)。(2024・2・21UP)

 

 

(山口県上関町の河津桜)

 

経営と希望

 衣料も着る回数が高いほど良品ということになると思うが、ユニクロ製品が当て嵌る。私も気づけばユニクロ製品が多い。良心的な価格と実用性を重んじたフッションと丈夫な点が気に入っている。山口県発祥のユニクロの創業者である柳井正氏は相当な人物である。競争激しい衣料業界に正攻法で挑み、今や世界の超有名衣料ブランドに仕立て上げた。一見普通の地味気なおじさんである。マウントなんて全く縁のない人に見える。長年の経験から、こういうタイプの人は強かで凄い能力を持っている人が多い。既成に捉われない広い目を持っているし、人を公平に扱う術も心得ている。それでいて自分の信念は曲げない。こういう人がトップにいる会社が伸びないはずがない。昔で言えばホンダの創業者本田宗一郎、ソニーの創業者井深大氏もそういうタイプであった。先日NHK総合テレビでユニクロ会長の柳井正氏と昨年の世界野球大会(WBC)で日本チームを優勝に導いた栗山英樹元監督の対談番組を見る機会があった。2人で組織、運営、育成、指導などについて色々意見を交わしていた。特別目新しいものはなく、ごく普通の事を普通に語り合っている印象であった。気を引いたのは、柳井氏が述べた以下の意見である。組織は常に脱皮しないといけない、各部に優れたリーダーを置く必要がある、上から管理するより横一線の方が良い効果が出る、相手の失敗は見逃さずに指摘して直させる勇気が大事、まずは自分と相手をよく知ることが肝腎という内容であった。そして番組の最後の方で現在の日本人の労働者意識調査のアンケートのグラフが示され、役職(管理職)についての回答で、「就きたい」という回答が約25%、「就きたくない」「分からない」が約75%であったことである。役職に就いてしんどい思いをするより、楽なポジションにいる方が良いと考える人が多いということであろう。考えれば、これは日本が社会主義の方向に進んでいることを意味するのではないか。柳井氏も嘆いておられたが、日本の国民総生産(GDP)が年々下がり続けていることが、このアンケートの結果を見ても分かる。仕事に生きがいや希望を持てない人が増えている。番組最後に柳井氏が「希望を持つことが大切」と力説されていたのが強く印象に残った。これは個人だけに帰する問題ではないだろう。今の日本を取り巻く社会、政治、行政、教育、労働の環境も影響を及ぼしていると感じる。つまりこの30年余り日本はかっての英国病のような状況に陥っているのではないかと思う。(2024・2・19UP)

 

 

 

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