田舎茶房

 

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ユーモアは大事

常々日本人はユーモアが乏しいと感じる。ここで言うユーモアとは、笑いの中に寛容性、理性、バランス感覚を含むものである。政治の世界を見ても、大臣が失言すると、すぐに攻撃され辞任騒動が起きる。大抵は言葉が走った程度のもので、文脈を手繰れば目くじらを立てることもないものが多い。世の中、完璧な人間はいないという前提に立てば、多少の失言ぐらいは大目にみてもいいのではないか。こう言えば、「政治は、そんな甘いもんじゃない」と怒る人がいるだろう。しかし、それがために政治家が委縮し、官僚的な固い発言ばかりが多くなる。自由な発言が抑えられる方が、むしろマイナスではないか。失言の度に政治の混乱を起こすのは、それこそ時間のムダである。実際のところは政争のネタに悪用されているケースが多い。マスコミも世論も過敏に反応するのも良くない。大臣の首を取るのがそんなに嬉しいか。ある種のイジメである。ここで、ユーモアという寛容性があれば、もっと幅広い議論が展開されるかもしれない。むしろ、そこに政治の本質、政治家の器量が示されたりする。言葉は何のためにあるのか。釈明、弁明、議論に発揮されるべきである。「弁明を聞けば多少納得できる」「確かに一理ある」という人も出てこよう。そうすれば、政治がもっと身近になり、国民全体の視野も広がり良くなる。かって所得倍増計画を唱えた池田隼人首相が放った「貧乏人は麦飯を食え!」はそうであった。反発が起きたが、立派に成果を果たした。「寛容と忍耐」を旨とした立派な政治家であった。英国の名首相チャーチルも辛口ジョークが得意だった。「愚かな者たちでさえ、時に正しいと知るべきだ」「完全主義では、何も出来ない」などアイロニーの含んだ名言を数々残している。英国人がユーモアを身に付けたのは、英国の長い戦闘と苦難の歴史、1年の大半を占める陰鬱な気候によるものである。つまりユーモアを持たないと暮していけない環境から生まれた人々の知恵であった。そのユーモアのお陰で、言葉が力を持ち、弁論が栄え、マグナカルタが生まれ、科学の目が育ち、多くの異能異才が輩出され、近代文明の扉を開く産業革命が起こり、栄えある大英帝国を築くことが出来た。いわば変わり者、笑い者、愚か者たちが国を変え、世界を変えたのである。同じ島国の日本人もユーモアを身に付けないといけない。全体が不寛容な状態では、傑出した才能も、大発明家も大政治家も生まれようがない。やたら底の浅い正義、正論を振りかざす生真面目さは、自分で自分の首を絞めると思う。(2017・6・15UP)

 

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自転車

自宅前の道路は高台にある高校の通学路になっている。長い坂道で、途中で自転車から降りて上る生徒も多かったが、電動自転車が普及して、スイスイと上る生徒が増えた。ほとんど女生徒たちである。喘ぎながらに上る男生徒たちを尻目に、女生徒たちが追い越していく光景は、最初目にした時は滑稽であった。男生徒たちは、親に「電動自転車に変えたい」と言い出しにくいのか、「やわな電動自転車に乗れるか」という意地が見て取れる。下校になると、男生徒たちが電動自転車の女生徒たちを猛スピードで追い抜き、鬱憤を晴らすかのように奇声を発して坂道を下りて行く。そんな光景を眺め、自分の高校時代に思いを馳せる。高校2年の時、隣町の高校まで自転車で通った。それまで電車通学していたが、バスケ部の仲間2人と話し合い、足腰の鍛錬を兼ねてそうしようと決めた。海辺の町から、隣町の山手にある高校までの片道約10キロの道程であった。朝一番に談合峠まで続く1キロ以上の曲がりくねった国道2号線の坂道を走らないといけない。その間は3人の熾烈な競争が日課であった。勝つ日も負ける日もあったが、毎回峠の木陰で汗を拭い、後は緩やかな道を並んで高校まで通ったものだ。帰りは楽で、便数の少ない電車より早く家に着くこともあった。人馬一体の自由さが気に入った。夏休みには、3人で配達のバイトをしたり、山口県半周のサイクリング旅行をしたり大変仲が良かった。その年のバスケの夏の大会も2勝をあげたと記憶している。しかし、その後の自転車の思い出は、東京で大学時代、新聞配達のバイトで乗ったぐらいである。当時の自転車はほとんどが商用で、固い皮のサドルで、後ろに荷台が付き、頑丈な作りで、タイヤも太く、変則ギアーもなかったからスピードもそんなに出ない。馬で例えるなら昔の自転車は道産子で、いまの自転車はサラブレッドである。自転車の進化は素晴らしい。ブームが起きるのも分かる。若ければ、今外国人にも人気沸騰の本州の尾道と四国の今治を7つの橋で結ぶ「しまなみ海道」の70qを走破したかもしれない。尾道から生口島までは大丈夫か、いや、これも無理だろう。サイクリングロードを気持ち良く走る姿を羨ましく眺めるしかない。自転車は苦楽のある乗り物である。加えて風景も天候もストレートに体感出来る。それがいい。人生とどこか似ている。日常でも、自転車がもっと普及して欲しい。今朝も、普通自転車を必死で漕いで上る男生徒たちを眺め、「よっ、がんばれ!」と応援を送っている。(2017・6・12UP)

 

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共謀罪

今国会において衆議院で可決され、参議院送りになった「共謀罪」法案は、デリケートな問題を抱えており国民の間でも賛否が分かれている。戦前の「治安維持法」のような監視社会になる、冤罪を引き起こす、国民の自由と権利が脅かされるという意見もある。昔親父から聞いた話にこんなのがあった。台湾の基隆市の商店街で起きた話である。天皇陛下が視察に訪れるというので、商店総出で通りを飾り付け作業をしている時に、一人の店主が、陛下のことを多少ふざけて「天ちゃん」と呼んだ。それを聞き付けた警察が店主を逮捕し、陛下が帰還するまで監獄に押し込めたという。笑えない話だが、これはほんの1例で、全国で多くの人が誤認逮捕され、獄死した人も出た。国が保有する権利は、時として国を変え、国を危険に陥れる。強い権限は、時として暴走し、乱用される。戦前の軍国主義下の治安維持法はそうであった。古い年代ほど、この法案を危惧するのも分かる。しかし、一方で世界中で凶悪なテロ事件が続発し、組織的犯罪も国際化、情報化により巧妙化してきている。現行の法律だけでは防止対策に限界があることも確かだ。事前防止を図る効果的な法律も必要だろう。この法律があれば赤軍派事件やサリン事件も防げたかもしれない。3年後に東京オリンピックも控え、欧米諸国と同等の法律を作ることは止むを得ない。ただ日本の場合、警察に対する国民の信頼は低下している。警察の不正、不祥事、反社会的組織との癒着事件も後を絶たない状況で、更に強い権限を持たせて大丈夫かという不安はある。国の治安維持は、警察の日々の地道な努力の結果である。「共謀罪」がそれを阻害するものであってはならない。仮に法案が成立しても、行使に関しては、英国のコモン・ローに準じた英知と配慮が必要だろう。それにしても、安倍晋三首相の目指す国家像がいまいち掴めない。「戦後レジーム(戦後体制)の脱却」は分かるが、単に右翼化を強めている印象しかない。それは祖父の岸信介の主義、思想を踏襲しているように思える。岸信介は、戦前は大物官僚で、軍国主義に加担し、東京裁判でA級戦犯に科されたが、どういう訳が無罪放免され、以後は米国一辺倒の政治家に変じ、首相まで上り詰め、日米安保同盟の立役者になった。いわば「君子豹変す」の人物であった。いつまでも祖父の岸信介や憲法改正の中曽根康弘の影がチラつくようではたいしたことはない。自分の主義、思想を持っていない未熟さも感じる。若いのだから、もっと自分のカラーを打ち出すべきだ。むしろ、麻生太郎の方がユーモアがあるだけ大人の政治家に思える。(2017・6・8UP)

 

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「赤毛のアン」

テレビで人気の脳学者・茂木健一郎の「あるとき脳は羽ばたく」(中央新書)を読んでいたら、「赤毛のアン」を小学生の頃読んで、大いに魅了されたという箇所があった。今も、愛読書という。「赤毛のアン」は、カナダの作家ルーシー・モード・モンゴメリーが100年以上前に書いた児童小説である。題名と大凡の内容も知っていたが、「問題が解けなくてもいいです。考えることが大切なのです」と言う脳学者を刺激したこところはどの辺なのか、気恥ずかしさを隠して図書館から借りて読んだ。物語の舞台はカナダの大西洋に面する美しいプリンス・エドワード島である。その赤土で肥沃な島で農業を営む心根の優しい兄妹が、仕事の手伝い用に孤児院から男の子を貰い受ける手続きをする。しかし、手違いで11歳の風変わりな女の子が送り込まれる。それが主人公のアンである。物語は、その少女アンの5年間の成長の記録である。アンは型破りな少女で、自分の赤い髪、そばかすだらけの顔、痩せ細った身体に強い劣等感を抱いており、その上反骨精神が旺盛で、頭が良く、大のおしゃべりで、想像や時に妄想することが好きで、失敗やへまばかりする。簡単にいえば、感受性豊かな生のままの勝気な少女である。そんな少女が純朴で宗教心の厚い親代わりの兄妹家族と、現実的で保守的な村人と、様々な学友たちとうまくやって行けるのか。自立した愛される賢い女性になれるのか。これが、この物語のテーマである。脳学者の興味も、そこに釘付けされたのだろう。人間は、現実と想像(夜中の夢も含む)の狭間の世界を生きる動物である。アンの生き方はその象徴である。つまり人生は自分が主人公で、刺激や変化に対しても他人に惑わされるのではなく、自分の意思と意志が大切である。その元はといえば、感情、判断、想像など、もろもろの脳の働きによるものである。それを幼くして両親を失い他人の兄妹家族に拾われた少女アンの生き方を通して、読者に訴えかける。思えば、新大陸のアメリカやカナダの開拓に挑んだ欧米人の女性にも求められたメンタリティーであったであろう。「赤毛のアン」は、その啓蒙書である。「人間の脳は無限の可能性を秘めている。それに蓋をするのは本人である」と、この脳学者もさかんに訴える。アンに似た少女は日本にもいるだろう。しかし、その可能性は枠に嵌められ、研磨され丸くなる。そして、「可愛い」「美しい」「しとやか」が、あたかも女性の代名詞のように喧伝され、浸透する。この本を読むと、日本の社会は、本当の意味で、まだ大人になり切れていないと感じる。(2017・6・4UP)

 

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山陰1泊キャンプ旅行?

晴天が続く5月最後の週末、腰の痛みも治まったので、急に思い立って山陰の松江方面に1泊キャンプ旅行に出かけた。朝7時過ぎに出発。今は広島から松江までは高速で繋がっているが、途中三次インターで下り、国道54号線を走る。江の川、山沿い、宍道湖を走る道路は気持ちがいいのである。過去に旅行や釣りで何度も走っている。途中で2つの道の駅に立ち寄るがまだ早過ぎてめぼしいものが揃っていなかった。国道9号線に出て宍道湖沿いにほぼ直線に延びる道路を走る。汽水湖独特の淡い青味色、シジミ漁の舟、サラリーマン時代の慰安旅行で大宴会を行った湖畔の玉造国際ホテル、夕日の景色が素晴らしい嫁が島を車窓から眺めながらの快適ドライブを楽しむ。

 

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松江市の少し手前の右手奥にある最初の目的地であるハ重垣神社に到着する。縁結び、子宝を祈願する由緒ある神社である。出雲大社と並んで縁結びの聖地とも呼ばれている。境内には、古くて立派な本堂の他に、石の大きな男根を祀った堂や樹齢を重ねた夫婦椿もあった。参拝を済ませ、神社奥の森にある、いま人気を集めている「鏡の池」で占いをする。やり方は、神社で購入した白いまっさらな和紙の御神籤の真ん中に、10円玉か100円玉に限定された貨幣を1枚乗せ、30坪四方の池に浮かべる。和紙に水が浸透すると占い文字が浮かび上がり、その紙が早く水に沈むほど、願いが叶うというものである。家内がさっそく試す。これを目的に参拝する人も多いようで、池の回りは人盛りが出来ている。早く沈む紙もあれば、なかなか沈まない紙もある。中には本人がいる間中沈まない紙もあった。その一喜一憂の声に包まれる。池の水の流れとわずかな波も影響するようで、「500円玉だと早く沈むな」と言うと、周りに笑いが起きる。神社はうまい占いを思い付いたものである。何でも、昔からお供え物を浮かべる風習があり、それが変じたものらしい。家内が浮かべた紙は、割合早く沈んでくれ、ホッとした。神社の大屋根の上には、「ハ雲立つ」ように、白い雲が沸き上がっていた。出雲地方は、雲の美しいところである。

 

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松江に来れば、ひとまず松江城ということで、松江城公園に向かう。松江城は子供2人が小学生の頃に家族旅行で訪れ、天守閣まで上ったことがある。展望の景色は最高であったが、今回は城周辺の散策で済ませた。平城としてはやはり日本屈指の名城である。石垣も天守閣も見事な風格を誇示していた。毎回城を前にすると、気分が壮大になり引き締まる感じがする。この日は土曜日であったが、人出は思ったほど多くなく、団体客も少なかった。今話題の中国人観光客の姿もほとんど見かけなかった。やはり、圧倒的に中高年層が目立つ。それも、望遠レンズを付けた高価なカメラを首から下げている人が多い。いまは、高価な1眼レフカメラかスマホに色分けされているようで、自分のような小型デジカメはあまり目にしなくなった感じである。ここでも、天守閣上空を流れる白い雲が印象的であった。出雲地方は「なぜ雲が綺麗なのか?」。周囲の溢れんばかりの山の緑と宍道湖、中海、その背後に広がる日本海が作る出す水の力も大いに関係しているのだろうと思った。

 

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城見物だけでは物足りないと、家内が堀を巡る遊覧船に乗ろうという。以前、テレビか何かで見て、1度乗ってみたいと思っていたようである。遊覧船は、昨年の中国無錫の太湖、北陸の東尋坊でその気持よさを体験している。今回もやはり気持が良かった。しかも最後に乗ったので、船の先端に座ることが出来た。水上から眺める景色の変化、水面を滑って進む船の感触、顔に当る風が心地良かった。スタートは、城公園下に設えた船着場、そこから旧城下町を大きく四角形に囲む掘川をぐるっと1周する約50分の遊覧である。お堀端を飾る木々の緑、昔の風情を醸し出す建物保存地区、高さの揃った町並み、庁舎、図書館などの現代建築物などの景色を船の速度に合わせのんびり鑑賞する。所々で武将姿の男たちがサービスで手を振ってくれ、到る所で可愛らしい亀が甲羅干しをしていた。この遊覧船のもう一つの醍醐味は、16の小さな橋を潜る時のスリル感である。5か所程度、船の頭が当る橋があり、その都度、船頭さんが「はい、頭を下げて屈んで」と10人余りの乗客に向かって合図するのだが、船のテントの屋根も、機械式に低くなる仕組みになっている。もしこれが作動しないと船ごと橋にごつんである。船頭さんが、「お金を払ってもらい、その上何度もお辞儀してもらってありがとうございました」と笑わせた。最後に松江音頭を合唱して終了する。本当に、こんな遊覧も珍しい。最後の方で松江城の雄姿も眺められたし、乗って良かった。何でも、松江城は過去に取り壊し令が出たことがあったらしいが、町の有志たちが金を集めて中止させたらしい。今や、それが国宝である。感謝、感謝である。

 

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遊覧後、松江みやげ物産館に入り買い物した後、昼時であったので、以前家族旅行の時に食べて美味しかった出雲そばの名店「神代そば」店に行き、三段重ねの割子そばを食べる。素朴な風味と独特なコシがあり、やはり美味しかった。家の近くにあれば週一通うのにと思った。名店だけあって、店内は客で混み合い、食べて出る時には店前に客が並んでいた。家内が後から話すには、自分たちの隣端に座っていた中年の女性客2人は、食べ終えてからもぺちゃくちゃと話に夢中で、一向に席を空けようしない。店員も困って、「おさげしてよろしいですか」と催促を促すと、何とそば湯のおかわりを頼んだという。「無神経な人たちだわ」と家内は怒っている。「そんな時は、店員も店が混んでいるので、次の人に席を譲ってもらえますかと頼めばいいのに」と答えたが、客商売、それは出来ないか。しかも山陰の人は心根が優しい人が多いから。近頃、厚かましい中年女性が増えていることは確かである。

 

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次に、松江市街地を抜け、小さな橋と埋め立て道路で結ばれている中海に浮かぶ大根島に渡る。中海は宍道湖と細い水道で繋がっていており、松江から境港へは最短コースの道と大橋が整備されている。大根島は太陽と海の光を全身で浴びるような四角形をした平坦な島である。海の色はもう完全に日本海である。それだけにコントラストが強い。野菜や花の栽培が有名らしい。牡丹は終わったが、シャクナゲは咲いているだろうと、植物庭園「由志園」に向かう。しかし、入口の説明板を見ると、シャクナゲもほぼ終わっていた。家内が入園しても仕方がないというので、駐車場脇にある花物市場だけを見物した。由志園の広い駐車場には数台の観光バスが並び、玄関の構えもずっしりとした重さが感じられたが、家内が言うように名物の花がなければあまり魅力がなさそうなので、早々に大根島を後にした。

 

大根島から北方向の島根半島に直結する長い埋め立て道路を通り、境港に向かう。隠岐島行き大型フェリーや海上保安庁の巡視船が停泊する境水道を抜け、美保湾沿いの道路を島根半島の東突端にある美保神社と美保関灯台に向けて走る。やがて小さな湾を取り囲むように出来た古びた町に到着する。その町の中心に美保神社がある。漁港脇の駐車場に誘導員の指示に従い車を止め、まずは美保神社を参拝する。美保神社はかなり由緒正しい神社である。全国えびす神社の総本山という。えびす様といえば、海上安全、大漁満足、商売繁盛、学業の神様である。更に三穂津姫命も祭られており、これは五穀豊穣、夫婦和合、安産・子孫繁栄、歌舞音曲の神様である。つまりオールマイティーの神社である。出雲大社を参る前に参るのが良いと言われ、伊勢神宮とも深い繋がりがある。参拝後は、小さな門前町と漁師町が混在したようなレトロな雰囲気が漂う青石の敷かれた町並みを散策する。商売店の前に貼られた写真を見ると、文化人、芸能人、音楽家も大勢この町を訪れている。この日は、町の行事があったようで、港周辺はお祭りムードであった。改めて神社前に立って全体を眺めると、神社のすぐ目の前には美保湾の青い海が広がり、右方向に米子からの青い松林が延びる弓ヶ浜、正面彼方には勇壮な大山が拝められる絶好のロケーションである。ここに神社を作ろうとした古人(いにしえびと)の気持ちが分かる。

 

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次に美保神社から更に5分程度先にある東突端にある美保関灯台に向かう。駐車場脇に設えた展望台からも美しい美保湾や大山の景色が望めた。遊歩道を歩いて灯台に向かう。高さは余りないが、ボリュームよく白い石で巻かれた立派な灯台である。そこの先にも岬の海を一望できる展望台があった。五月の爽やかな風を薫風と呼ぶが、ここでは日本海を渡る清涼な海風が加味されるから、飛びきり気持ちがいい。この日は天気が良かったので、紺青に広がる水平線の彼方に細長く伸びた隠岐島の島影も望見出来た。美しい日本海の景色が存分に楽しめるが、その一方で、島根原発の問題、竹島を巡る日韓の領土問題を抱える緊張を孕んだ海でもあることも頭に過る。更に、こんな美しい日本海に向けてミサイルを撃ち込み続ける北朝鮮に腹が立つ。平和な海であってほしいと願う。ところで、美保関灯台は、家内は独身時代に1度訪れたことがあり、その時に関の5本松の前で写真を撮った記憶があるという。しかし、それらしきものは見当らなかった。家内は「おかしいわね。なくなったのかしら」と首を傾げたが、それは家内の勘違いで、後から調べると、関の5本松は全く違う場所にあった。あんな岬の急斜面にあるはずはなかった。事前の調査不足のため、つい見過ごしてしまった。駐車場では、関西ナンバーが目立った。大山見物、今人気の境港観光、皆生温泉とセットでやって来る人が多いのだろう。

 

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戻りは、巨大船も通れる超高い境港大橋を渡り、境港にある魚市場や海鮮料理店や展望タワーのある「夢みなと公園」に行く。時刻は4時前。この公園入口にある境港公共アリーナのキャンプ場でキャンプをする予定である。事前に電話で予約していた。受付けカウンターで手続きを済ませ、さあキャンプを張るぞ、と車のトランクを開けて、すぐに気付いた。肝心のテントを積み忘れていたのである。シラフ(寝具)、ガス器具、電灯、調理器具、クーラー、釣道具一式はきちんと積んでいたが、1番大事なテントがない。その瞬間、家内と顔を見合わせ茫然とすると同時に大笑い。間抜けもいいところである。これは、家具を揃えても家がないのと同じ。ゴルフをするのにクラブを忘れたのと同じ。全てがナッシングである。キャンプ場に貸テントもあったが、キャンプをする気になれず、時間もまだ早かったので、相談してそのまま家に戻ることにした。松江から高速に乗れば、2時間少々で帰れる。キャンプの夕方から夜は、近くにある水木ロードの散策、境港で水揚げされた新鮮な海鮮料理、近くの皆生温泉の日帰り入浴を楽しみにしていたが、それも全ておじゃん。キャンプに関しては私には前科がある。1度はカレーを作る鍋を忘れ、2度はテントに打ち込むアンカーを忘れたことがある。だから、これはボケでは決してない。と思いたいが、今回はモノが違う。大きさも全然違う。それを完全に見落としたのである。忍び寄る老いの怯えと、それを打ち消すようなバカ笑いが、帰路の間止むことはなかった。家内は変わったところがあり、私が失敗をすると喜ぶところがある。今回もそれでなんとか救われた。「やっぱり、キャンプに出かける時は、チエックリストを用意しないといけないな」の言い訳もどこか空しい。帰路も途中で道の駅を2つ程立ち寄り、地元の特産物を購入する。結果この日は8時間以上車を運転し続けたことになる。家に着いた時は、失敗も加わり疲れがどっと出た。(2017・5・30UP)*掲げた写真は露出オーバー、カメラのセットを間違えている。大丈夫か、お前?

 

庭の成長

5月から6月にかけて、庭の木々も花々も一斉に存在感を露わにする。生命力のオンパレードだ。「今年は気分が乗らないので休みます」というのがいてもいいのに、それはない。春先から家内が色々なミニバラを仕込み、その鉢植えを並べたから、更に百花繚乱の印象が色濃い。バラはミニであっても、色と形が上品で華やかで、花の女王の名にふさわしい。負けじと古参のランも、艶やかな真っ白な花弁を零れるように咲かしている。昨年400程度の赤い花を付けたハイビスカスも、1輪、2輪と始動を始めた。玄関前の地植えのノースポール、ビオラも健気に咲き続けている。これに、モッコウバラ、ジャスミン、ゼラニューム、各種アジサイ等が加わる。花を眺めていると幸せな気分になる。問題は、庭木だ。イボタ、カイヅカの生垣とサツキ、ツツジ、サザンカ、ドウダン、マメツゲ、ユスラメ、アセビ、ヒイラギ、ジンチョウゲ、アオキの低木はいいとして、モッコク、ケヤキ、金木犀、ハナミズキ、クロガネ、百日紅、カシ2本、もみじ2本、椿が若葉を広げると、庭から緑が一斉に押し寄せてくる感じになる。そこで、「緑の勢いを抑えよう」と、毎年この時期、脚立や高枝鋏を使って剪定作業を始めるのだが、これが段々しんどくなった。30年前に買った庭付き分譲住宅で、最初からあった主木のケヤキ、副木のカシの他に、植木市などで買い求めた木を、思うまま植えたから、こういう状況になった。この上、芸北の白樺まで持ち帰って植えようとしたのだから信じられない。木々は年々成長する。幹も太くなる。それを想像する力がなかったのだ。ある時、わが家の庭を覗いた近所の長老から、「木の頭を落とさないといけない」という忠告を貰う。木の成長に任せたら、庭がジャングルになる、と脅された。それまで剪定は枝葉を切り詰めるだけで、幹を断ち切るという発想は思い浮かばなかった。というより、木の形は壊したくないという思いがあった。断腸の思いで、5,6年前に成長の早いケヤキ、カシの木の頭を2メートル近く切り落とした。多少不格好になったが、それだけで庭がすっきりした。その点、古くから日本庭園に利用されたモッコク、クロガネ、百日紅は成長が遅いので、頭を落とさなくても済んだ。これもやはり日本人の知恵なのだろう。先頃訪ねて来た長男の息子がしげしげと庭を眺め、「こんなに木や花が多かったけ?」と言うので逆にこちらが驚く。昔とさほど変わっていないようで、やはり変わったのか、それとも、息子に庭を愛でる余裕が生まれたのか。ぼちぼち剪定を頼む時期に来ているようである。(2017・5・24UP)

 

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永井龍男という作家

新緑が眩い午後、久しぶりに公共図書館に足を向けた。特別借りたい本があった訳ではないが、寝床に2.3冊欲しいと思い、本棚の間を歩いている内に、永井龍男の全集に目が止まり、借りることにした。以前、短編の名作と言われる「青梅雨」を読んだことがある。新聞の三面記事をヒントに書かれたもので、淡々とした日常生活の延長に一家心中があるという薄ら寒くなる内容であったが、何とも言えない日本語の持つ奥深さを感じて、他の作品も読んでみたいという気持ちになった。全集には「石版東京図絵」を頭に、「黒い御飯」「青電車」「冬の日」「いちょうの町」など18作品が収められていた。「青梅雨」も最後の方にあった。「石版東京図絵」以外は短編なので、比較的に読み易かった。とは言っても、1語1句に重さがあり、それを味得しながら読み進めるというのは、いまの小説ではなかなかあり得ないことであった。場面ごとに情景、人間が細かく映し出されているので、その状況を思い浮かべないといけないので、1日2篇で充分に読了感が得られた。永井龍男は明治生まれの東京神田の育ちである。池波正太郎と同様、江戸っ子の気風がある。高等小学校を16才で卒業して丁稚奉公に出されるが、体を壊して病院通いをしている時に樋口一葉の本に出合い、作家の道に心が動く。初作品が先輩の菊池寛に認められ、文学の世界に進むことになる。ただ作家では飯が食えず、20代の頃にコネで文芸春秋社に入社し、35歳で編集長まで勤め上げた。その間にも作品を発表しているが、菊池寛の「小説は世間のことや人間が分かるようになってから書くべきだ」という教えを守るかのように、やや自制した作家活動であった。いぶし銀のような作品は、後半に生まれたようである。若い歳でも、ある程度才能があれば小説は書ける。しかし、やはり底の浅さが透けて見える。生活の苦労、人間関係の修羅場をくぐり抜けないと本当に心打つ小説は書けないのではないか。菊池寛や永井龍男の作品には、生身の人間が描かれている。だから心の琴線に触れるのだろう。三島由紀夫や安部公房は例外だが、村上春樹の小説が苦手なのは、作為が感じられるからである。技巧は優れても、人間の実体、社会の実状が描かれていない気がする。「そんなことはありえない」と思った段階でダメである。しかし、これは好みの問題であろう。私は、菊池寛、山本周五郎、松本清張のような人間臭い、職人気質のような作家の作品が好きである。一言で言えば、嘘がない、人間に正直だからである。(2017・5・21UP)

 

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北朝鮮情勢

 北朝鮮情勢が一段ときな臭さを増している。現金正恩体制を誇示するように核開発、ミサイル発射実験を続けているからだ。国連の制裁決議なんか屁の河童である。そして、ついに大気圏を突破して2000q上空を飛ばすロケットに成功する。威嚇を狙って朝鮮半島に差し向けた米軍空母「カールビンソン」号なんか眼中にない様子である。しかし、実際のところ、北朝鮮は中国、ロシア、米国にとって存在理由のある国である。中国、ロシアとは社会主義の輪で繋がっていた兄弟国であり、防衛面で防波堤であり、今も大事な貿易相手国である。米国にとっても、北朝鮮情勢の緊張が高まれば高まるほど、米国の巨大な軍需産業が潤うという価値を有する。しかも、この三国は軍事大国であり核保有国である。ホンネでは生かさず殺さず、いざとなれば潰すのは訳ないと計算している。隣の韓国と日本だけが過敏に反応していることになる。他のアジア諸国や欧州諸国もさほど脅威は抱いていない。むしろ、中国の覇権主義に警戒の目を向けている。つまり現在の北朝鮮情勢は、第二次世界大戦後の東西対立の構図、パワーバランスから生まれたもので、それが今も続いているに過ぎない。唯一の誤算は、北朝鮮に核開発、ロケットの技術を供与したことである。おそらく中国とロシアだろうが、独裁者にとんでもないものオモチャを与えてしまったものだ。今や北朝鮮にとって、核兵器は頼みの綱であり、国統一の鍵であり、現体制を維持する切り札になっている。日本はどう対応すればいいのか。軍事において米国の傘下にあってはどうすることも出来ない。国連で北朝鮮圧力を強めるよう働き掛けるしかないのが実状である。北朝鮮にとっても、日本の米軍基地が気になるぐらいで、「下手に動くと、ミサイルを撃ち込むぞ」と脅せば済む程度にしか考えていない。北朝鮮の敵はあくまでも米国である。朝鮮戦争当時のままであり、現体制維持の執念に凝り固まっている。本来なら、日本は、他のアジア諸国、欧州諸国と歩調を合わせ、米・中国・ロシアのパワーゲームとは距離を置くべきだが、またその方が日本の存在感が増すのだが、いまやその段階も通り超している。怖いと思うのは、北朝鮮が存在感を増せば増すほど、核兵器の威力を世界に広げていくことである。核を持つ国と持たざる国との比較が露わになることである。既に日本でも「核兵器を持つべきだ」と言う意見も出始めている。すべては米国の核兵器開発が発端だが、早目に北朝鮮の現体制を潰すしか(軍事力に頼らない方法が望ましい)、第三次世界戦争の悪夢を消し去ることは出来ない。(2017・5・19UP)

 

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サイバー攻撃

コンピューターの普及が、社会を劇的に変化させたことは言うまでもない。マイクロソフト社が1般向けに開発した基本ソフト(OS)であるウインドウズの功績は絶大であった。普通の人でもコンピューターを簡単に操作出来、インターネットも活用出来るようになったからである。称して高度情報化社会と言うようになったが、その情報環境が進むにつれ、ネットワークの有益性の裏に潜む有害性も問題視されるようになった。ウイリスによるサイバー攻撃がそうである。最新ニュースによると、連日世界規模で20万件のサイバー攻撃の被害に遭っているという。北朝鮮のサイバー攻撃で世界の金融機関から巨額の金が盗み取られているというニュースもある。大袈裟にいえば、違うレベルでの世界戦争が勃発している。もはや、その都度ウイリス対策を講じるやり方ではどうしょうもないところまで来ている。コンピュ−ターの普及が速すぎて、それに伴う安全性が追い付かないというより、もともとスタート時点から大きな欠陥を抱えていたと言えるのではないか。当初インターネットは、米軍機関だけに利用できるLANケーブルで繋いだウエッブシステムであった。それを汎用に広げたのが、当時ベンチャー企業のビル・ゲイツ率いるマイクロソフト社である。ブレイクスルーの功に燃える若者の頭脳集団である。そこに青臭い落とし穴があったとしか言いようがない。世界レベルで対策を取ろうにも、技術ソフトは企業機密によって固く守られ、外部からは手の施しようがない。ウイリス対策はマイクロソフト社とウイリスソフト会社に依存するしかないというのが実情である。つまり今後も寡占的で後追いを余儀なくされるということである。ウイリスは今後も姿を変えて忍び込んで甚大な被害をもたらすことは明らかである。マイクロソフト社が米企業ではなく他の国であったら、欠陥が指摘され巨額の損害賠償を負わされとっくに倒産したのではないか。世界の頭脳を集めて根本的な解決策を見出す必要がある。素人考えでは、インターネットの仕組み自体を変えるか、人工頭脳を備えた基本ソフト(OS)の開発しか思い当たらない。その場合、人工頭脳はパーフェクトが条件である。いかなる新型ウイリスでも瞬時に判断し、駆除するものでないといけない。更には、「毒には毒を食らわす」と逆サイバー攻撃を仕掛ける。それが可能かどうか分からないが、いまのような脆弱状態が続けば、地球規模の危険が起きる可能性もある。そうなれば、人類は自分たちが作ったウイリスで滅びたという大喜劇を演じることになる。(2017・5・17UP)

 

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古い手紙

先日、家内が旅行で家を留守をした間に、裏庭で古い手紙を焼却処分した。青春時代から結婚するまでのものである。ゴミでそのまま出だすのが嫌だった。男友達との交流の手紙の他に、同級生を含む7人の女性の手紙も含まれていた。これで結構、若い時分はもてたのである。なぜ、そんなやばい手紙が家の中に残っていたのかは若干説明を要す。女性の手紙は結婚前に処分すべきであったが、仕事の忙しさにかまけ、つい忘れてしてしまった。結婚してしばらくして、家内が書類入れの奥にしまっていた手紙を発見し、「なぜ、こんな手紙が残っているの!」と私を責めた。私は「悪かった。すぐ処分すべきであった」と謝るのが精一杯であった。その後、家内が処分してくれたと思っていたら、家内の方が長い間どこかに隠して保管していたのである。その手紙が残っていたのを知ったのはごく最近である。その手紙による脅し効果はもはや必要ないと家内が判断したからであろう。処分をする前に、何通かに目を通したが、甘い香りに包まれていた。思わず顔がゆるむ。手紙をもらうということは、自分からも甘い手紙を書いて送ったのだろう。いい気なものである。ただ、若い頃はもてたという事実だけは明らかである。それだけは声を大にして言いたい。ただ、今思えば、あれは青春時代の遊びごとである。女性たちも「恋せよ、乙女」の年頃で、いわば文通に色を染めた程度のものあった。処分した後も、しばらくは甘い余韻が残った。私に心を寄せた女性たちは、「今、どうしているだろう」と想像したりした。全員おばあちゃんになっているのは確かだが、その顔が想像できない。ただ思うのは、私の年代の頃の女性は、内面が豊かで、純粋で、文を通しての感情表現も上手かった。字も綺麗である。当時は手紙か電話しか伝達方法がなかったから、それなりに本気であった。今の若い人たちの恋愛事情は知らないが、メールやスマホでやりとりしているのだろう。それで胸の内、やるせない気持ち、悩み、苦しみがうまく伝わるだろうか。八代演歌「終着駅」の♪文字の乱れは線路のきしみ 愛の迷いじゃないですか♪、の心の機微は表せないだろう。やはり、時に手紙の力も必要ではないか。ところで、家内は、2人で交換した手紙だけは、いまだどこかに隠し持ったままである。できればそれも恥ずかしいから処分したい。ちなみに、家内は私のホームペイジは見ない人である。だから臆面もなくこんなことを書いた。馬鹿は承知の助だが、若干ホットした気分である。(2017・5・15UP)

 

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身体能力

ある時、家内が「お父さんは、いつも肩を威からして歩いていると見られらているわよ」と言う。「ああ、それでか、大抵の人は、10m先から道を避ける」と笑って答えたが、自分では威張って歩いている感覚は全然ない。ただ、全体の雰囲気から、「怖そうなオヤジがやってくる」という風には見られているのは感じる。又、ある時、よくウォーキングで利用する桜並木の遊歩道で、自転車を乗った年配の男性が立ち止まって、「時々あなたを見かけるが、歩いている立ち姿が実に恰好いい。今時、あなたのような歩き方をする人は少ない」と、褒められたのか皮肉を言われたのかよく分からない言葉を掛けられたこともある。どちらにしても、私の歩き方は昔の男ぽい歩き方のようだ。それはいいのだが、ここ最近、自分が頭で考えている身体能力と実際とに差が生じてきている。自分では大股で早く歩いているつもりでも、後ろから子供に追い抜かれたり、前を歩く女性との距離が離れたり、どうもテンポが緩くなってきている。石段でも、前は2段、3段を掛け上がったが、今は1段、1段慎重に上るようになっている。高さ30pの柵も、前は楽に乗り越えたが、それつもりで跨ぐと、後ろの足が鎖に引っかかったりする。田んぼの間にある幅2mばかりの小川を飛び越える時も、カモシカように華麗な跳躍をしたと思いきや、足が届かず土手に抱きついたこともある。周囲に人がいなかったからいようなもので、とんだお笑い草だ。身体能力の感覚は、いつまでも若いままというのが始末が悪い。「お前は、もう70過ぎのジジイなんだぞ」と言い聞かせる自分がいないから困ったものだ。最近大腿骨を痛めたにも、そのギャップが原因だろう。毎日1時間の坂道ウィーキングや片足100回のスクワットは荷が重すぎたのかもしれない。家内が、「何でも歳相応にしないと、また怪我をするわよ」と蔑む眼つきで言うのを、黙って聞くしかない。ああ、情けない。若かりし頃の体力が、いまほど恋しく思ったことはない。「不老不死」は、人間の究極の願望ではあるが、老いは情け容赦もなく1歩1歩近づいてきている。まずは、それは認めよう。後は、老いの進行を遅らせるしかないが、さて、その方法が見つからない。再び家内が、「普通にしていればいいのよ、普通に」と上から目線で言う。その普通が1番難しい。なんでもついやり過ぎてしまうのが、私の悪いクセである。50代の頃、ゴルフの飛距離を伸ばすため、頭を残して重い石を投げる練習を続け、頚椎を痛めたこともあった。これは、業か。(2017・5.11UP)

 

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挨拶

「孤独は寿命を縮める」というちょっとショックなニュースがあった。NHKの情報番組で知ったが、米国の権威ある研究所で発表されたことらしい。米国では孤独が深刻な社会問題になっており、その影響を調べている内に、孤独な人の方が死亡率が高いことが判明したという。これは、色々考えてそうと思うし、都市化、核家族化、高齢化の進む日本でも無視できない問題である。人は繋がって暮らす動物で、それによって生命が担保される面はある。健康管理だけを見ても、孤独な人の方が劣ることは明白。興味深かったのは、その予防策である。それが実に簡単で、「挨拶を交わす」ことだという。挨拶にも色々あるが、例えば、道で人と合った時は、挨拶を心掛ける、知った人なら「おはよう」「今日は」「お元気?」と声を掛ける。たったそれだけで差が出るという。挨拶を交わすことによって、脳が活性化され、生きる力が沸いてくるというから驚きである。そいえば、散歩していても、高齢者の男性は無視して通り過ぎて行く人が多い。「最近合わないな」と思っていたら、亡くなっていたと言うケースもある。かたや、近所の校長を務めた爺さんは、毎日のろのろ散歩しながら、途中で知り合いと会話するのを日課としている。家内ともよく話をする。82歳になるが、すこぶる元気。挨拶、は面倒と言ってはおれない。日本の平均寿命の高さは、挨拶が日常的に行われていることも、原因の一つにあるのかもしれない。年配の女性などは、挨拶どころか長話に発展するケースも見受けられる。外国の道路では余り目にしない光景である。思えば、日本には「和顔愛語」という良い言葉があった。深くは仏教用語であるが、他人と笑顔で接し、優しい言葉を掛けることは、仏の道に通ずることで、布施(善行)という教えである。同じ仏教用語の「自利他利」とも通ずる。家でも職場でも、挨拶を心掛ければ、それだけで雰囲気も和らぐ。人気漫画「釣りバカ日誌」の主人公の浜崎伝助の毎朝会社で元気よく挨拶をするキャラクターも、「無用の用」のプラスの働きがあると分かる。自分の行為は、回り回って自分に戻る。天に唾吐けば自分の顔に落ちる。挨拶も同じ、自分が渡した花束は、伝播して自分に戻ってくる。「情けは人の為ならず」、昔の人はいいことを言った。人の世は不思議なものである。最近腰痛に悩まされ散歩は中止しているが、再会した時は挨拶を心掛けよう。相手は、「あの無愛想なオヤジ、今日は自分から挨拶した」と驚くかもしれないが、挨拶は命の掛け橋と銘じよう。(2017・5・9UP)

 

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ハンバーガーとおにぎり

ごくたまにハンバーガーを買って食べる。丸いパンの間に平たいハンバーグとチーズと野菜がセットされ、パクリと齧るとパンと具材が合わされ独特の食感がある。これはこれで美味い。比べて、日本のおにぎり。塩をまぶしたご飯を手で固め、真ん中のくぼみに梅干し、オカカ、コンブなどの具材を挟み、三角形や丸型に整え、磯の香りの海苔で巻き、がぶりと頬張る。米飯のほのかな甘さと、中程で具が出てきて、馴染んだ美味さが口中を満たす。思わず「うまい!」と声が出る時もある。山登り、ハイキングの時がそうだ。味の比較はともかく、栄養のバランスで言うと、ハンバーガーの方が優れている。しかし、コンビニの食品棚を覗くと、まだまだおにぎりの方が優勢のようで、ちょっと安心する。ところで、ハンバーガーとおにぎり、どこか共通したものを感じる。日本人とアメリカ人には生活環境が似たところがあったのだろう。かって日本は農業国であった。農作業の途中で家に戻って食事をするのも面倒。ご飯を丸めて具材を詰めそのまま1食済ませられるおにぎりを考案した。かたや米国の大草原で働く牛飼い(カウボウイ)も同様である。丸いパンに具材を挟んで食べられるハンバーガーを考案した。共に簡単便利で仕事優先である。両国には先訓のフランクリンと二宮尊徳の勤勉の教えが浸透している。両国が、世界1位、3位の経済大国であることも納得する。おにぎりとハンバーガーは、その象徴かもしれない。ところで、日本人はおにぎりもハンバーガーも食べるが、アメリカ人はどうなのだろう。おにぎりを食べる人は稀だろう。おにぎりの美味しさをアメリカ人が知るようになったら、案外と浸透するのではないか。アメリカには日本米に似たカルフォニア米もあるし、日本人には考えられないおにぎりを生まれるかもしれない。ニューヨークの街角や公園でおにぎりをパクつくアメリカ人の姿も夢ではない。その場合、飲み物はコーラでなく日本茶であって欲しい。ちなみに、同じようなサンドイッチはカードゲームの遊びの中でイギリス人の貴族が工夫した食べ物である。よって、日本人とアメリカ人は似た者同士という強引な結論にたどり着く。米国は愛すべき尊敬すべき国であるが、恐ろしい国でもある。味方にすれば頼もしいが、敵に回したらこれほどの強い相手はいない。自国の利益に対しても極端に貪欲である。利害が対立すれば簡単に相手を裏切る。京都議定書やTTPを見れば分かる。それを踏まえ、これからも手を携え、仲良くして行きたいものである。(2017・5・7UP)

 

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「やすらぎの郷」

先月から朝日放送系列で始まった倉本聰さん書き下ろしのドラマ「やすらぎの郷」が話題を呼んでいる。平日昼15分の連続ドラマだが、倉本ファンの私も毎回楽しんで観ている。内容は、過去テレビ界で活躍したスターやテレビ文化に貢献した脚本家、プロデューサー、スタッフにお礼を込めて、老後を安らかに過ごしてもらいたいと、テレビ界の大御所が建設した伊豆の海が見える景勝地にある豪華な無料の老人ホームに選ばれて入所した老人たちが織りなす、ブラック・コミディー的な要素のあるドラマである。内容からして当然だが、出演メンバーの顔触れすごい。女優は八千草薫、浅丘ルリ子、有馬稲子、加賀まりこ、五月みどり、野際陽子など。男優は主人公の石坂浩二、山本圭、ミッキー・カーテス、藤竜也など。これほどの俳優をよく揃えられたなと感心する。俳優たちも倉本聰さんのドラマに出演できる喜びや感謝のようなものが感じられ、ゆるい昭和テンポのドラマに相乗効果をもたらしている。「どんな役でもいいから出たい」と申し出る俳優もいるそうだ。倉本聰さんが慕われ、尊敬されている証拠である。ところでこのドラマ、タバコを吸うシーンが多い。これはタバコ好きの倉本聰さんの反骨精神であろう。最初の方で主人公のセリフにこんなのがある。愛妻を病気で亡くし、老人ホームに入ることを決め、その引越しの準備の最中、娘が「お父さん、タバコは控えて」と注意する。そこで、主人公は「何を言っているんだ。このタバコのお陰でどれだけ良い作品が書けたか」と腹で反発する。これ倉本聰さんのホンネだろう。つまりこのドラマは、色々な場面で、倉本聰さんの毒が撒かれている。今週前半の話は「呪い」。浮き沈みの激しい芸能界で生き残った女優たちが、茄子と割箸と熱油を使ってこれまで受けた数多くの怨みを晴らす呪いパーティーを開くのだが、化け猫騒動に続いて「怖いよ女性は」という話である。兎も角、倉本聰さんは、色々なことに対して怒っているし怨んでいるし、今のテレビ界にも日本にも腹立を立てている。それは、老人たちの行動や言葉に織り込まれることだろう。それが倉本聰さんの流儀である。主人公に選ばれた石坂浩二は、「今回のドラマは、倉本聰さんの遺言と思っています」と話す。倉本聰さんほど日本を愛し、日本を考え、日本を心配する作家は珍しい。戦後では、愚かな戦争で敗れた日本人に元気を取り戻せと歴史的人物を描いた司馬遼太郎、日本社会の病理を事件から描いた松本清張ぐらいである。気づくのは、3人が新聞、マスコミの出身ということである。「やすらぎの郷」は日本人にとって毒と薬の効いた作品になるだろうと思う。(2017・5・3UP)

 

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