田舎茶房

 

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町内花見会 

散る桜 残る桜も 散る桜」。良寛さんの辞世の歌だが、桜の花は、満杯に咲いても瞬く間に散ってしまう。桜の花に、人の命の儚さ、潔さを込めた良寛さんの気持ち分かる。でも、いつかテレビに出ていた京都の老桜守が、「桜は、花を散らした後が大事や。そこから、来春の花の準備をする」と言っていた。だから良寛さんの歌は、この後に、「そして、また咲く桜かな」と続くのだ。「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」も良寛さんの歌といわれているが、良寛さんは、人の命も桜やもみじのように、エンドレス、メビウスの輪、輪廻転生を説いているのかもしれない。純真な子供心を失わなかった良寛さんらしい洒落気を感じる。ただ、良寛さんの歌が、太平洋戦争時に、神風特攻隊員の心情になぞられた歌として有名になったというのは、ちょっと複雑な気分である。さて、今年も花見に出かけた。今回は、町内会主催の花見会である。役員を引き受けている関係で、夫婦揃って、百人を超す団体に加わり、近くの広島市植物公園まで、ピクニック気分で花見に出かける。参加料一人600円で、入園料、花見弁当、ビール1缶付き。町内の資源ごみをリサイクル業者に売って貯めたお金がこんな時に役立つ。町内の集合場所から植物公園まで、ゆっくり坂道を歩いて20分少々。入園して桜に囲まれた芝生広場の一角に陣取り、早速、ビールで乾杯。歩いて汗ばんだ体に、冷えたビールが沁みる。「うまい!」の声があちらこちらから上がる。「酒も焼酎も用意していますので、じゃんじゃん飲んで下さい」と幹事が煽る。天気は晴れ、気温は暖か、桜の花がひらひらと舞い、申し分ない。目の前のステージでは、音楽大学の娘さんたちによるオカリナの演奏会が行われている。「エーゼルワイス」「コンドルは飛んでいく」など、オカリナの澄み切った音色が、桜とよく合う。そう言えば、昔の花見の宴には、歌舞音曲は付き物だった。その雰囲気をダメにしたのは、カラオケとバーベキューであったか。「こんな近くに、桜の名所があったとは」「また来年もやりましょう」「花見会開いてもらって、ありがとう」の声が寄せられ、ひとまず、町内花見会は成功。めでたし、めでたし。ここで自作3つ。「現世(うつせみ)の 命嬉や 花見どき」「桜咲き 桜散りして 歳重ね」「満開の 桜観る顔 薄墨桜(うすずみさくら)2009.4.6UP

 

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侍ジャパン見事 

第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で侍ジャパンが見事2連覇を達成。大会前に、原辰徳監督が、「順調に行けば、日本は韓国と5回戦う」と予想した通り、2勝2敗の5分で勝ち進み、決勝戦で雌雄を決することになった。まさに「野球はメイクドラマ」。テレビを前に、「勝負は強い方が勝って、弱い方が負ける(優勝劣敗の原理)」と言い聞かせ、興奮を抑えて観戦。家内は途中テレビから離れ、近所の奥さんは、「心臓に悪いからテレビを切った」という。日本全土一喜一憂の嵐。感想を言えば、初回から延長10回まで緊張と興奮の漲る、世界の野球史に残る好ゲームだった。特に、同点に追いつかれた延長10回の表、粘りに粘ってセンター前に決勝打を放ったイチローの勇姿は、スロー画像のように記憶に長く残るだろう。まさに、イチロー自身の言う「神が降りてきた」のワン・シーンであった。ただ、全体を通して見れば、日本は勝つべきして勝ったと思う。息詰まる接戦であったが、技も粘りも気迫も緻密さもチームワークも日本の方が一枚上。それは、共に戦った韓国選手が一番感じたことではないか。表向き似たような両国だが、スタイル、メンタリティが違うようだ。これはイチローもはっきり口にしている。日本は明治時代の学生野球からスタートして以来、独自の野球を育て上げて来たが、韓国の野球はまた違う道を歩んでいるようだ。韓国の主力選手は、K1選手のようながっしりした体格、ふてぶてしい面構えから、「野球も格闘技か」を思わす迫力に満ちている。これが相手チームに、脅威を与える。実際、韓国の破壊力はすごい。日本の投手がよく抑えたと思う。比べて日本は、総じて細身の筋肉質で、イチロー、松坂、川崎に見るような童顔である。この印象から、「スモール・ベースボール」と評されるのだが、どっこい、ポテンシャリティは並外れて高く、相手をコロッと負かしてしまう。巨体のキューバ戦の如く、弁慶と牛若丸、柔よく剛を制する。今回も、小柄で地味な青木、内川、中島、無失点の杉内投手の活躍が光った。9人で攻守を重ねる野球の持つ面白さ、日本野球の緻密さと言うべきか。前回同様、イチローを中心に選手たちは相乗効果を発揮したが、精神柱は、小笠原だったと思う。彼こそ侍の雰囲気が1番似合う選手だ(小笠原の顔ヒゲだけは、特例で認めて欲しい)。もともと日本には「適材適所」と言う言葉がある。侍続きで言えば、剣豪宮本武蔵も「五輪書」の中にも、その大切さを説いている。兵を率いる大将を大工の棟梁に例え、木の性質やクセを知り、適材適所の木組みを行うことで丈夫で立派な家が建つ。兵の使い方も同じ。今回1番の功労者は、選手一人一人の能力と個性を上手く生かし使った原監督を始め、伊東総合コーチ、山田ピッチングコーチらの首脳陣であろう。原監督も、おそらく「五輪書」は読んでいる。それにしても、今年50歳の原監督の若々しさ、凛々しさはどうか。これで、4年後の監督も決まりかな。2009.3.24UP

 

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「おくりびと」

日本映画「おくりびと」が第八十一回米アカデミー賞で外国映画賞を見事受賞した。賞にノミネートされた段階で、私も見に行った。葬儀の前に遺体を清め、装束を着せ、化粧を施し、棺に収めるまでの仕事を執り行う納棺師の姿を通し、人間の生と死の尊厳、愛と哀しみ、家族の絆を見つめ直す映画であった。人間普遍のテーマである「メメント・モリ」が源流にあり、触れ難い世界をともに皮膚体験することで、何となく心が救われる感じである。怖々としたテーマでありながら、分かり易いストーリー展開で、随所にユーモアと美しい音楽と風景が取り入れられ、静謐な大きな川の流れに身を運ばれるように見れる映画だ。しかも、過不足なく、バランスが良い。この、滋味豊かな日本料理を食べ、香り高い日本茶で締めくくる後味感は、小津安二郎監督の「東京物語」を見終えた時と似ている。滝田洋二郎監督にも、小津が描き出す日本の「情文化」の血が受け継がれているのだろう。その優しさや温か味が、この映画にも大いに活かされている。俳優たちも全員良かった。新人納棺師を演じた主演の本木雅弘は、地を感じさす真面目さ、繊細さ、コミカルさを素直に表現して好感が持てた。立ち振る舞いが、切れがあって上品だ。雰囲気が、若い頃のダスティン・ホフマンとトム・クルーズを足して割ったようなところがあり、アカデミーの審査員にも人物像が馴染み易かったのではないだろうか。妻役の広末涼子も、いい意味の子供ぽい透明感のある日本女性を、自然に演じ可愛らしかった。彼女の口元を曲げたはにかんだ笑顔は、どこか菩薩のような癒し効果があり、その神秘を含んだイノセントな印象は外国でも魅力的に受け入られるだろう。そして、何と言っても要は、ベテランの山崎勉だ。得体の知れぬ力量、飄々とした凄みを発する演技はさすがで、山崎なくしては、この映画はなかったと言えるほどである。余貴美子、吉行和子、笹野高史も、自分の持ち味を十分に生かし切っている。全体を通し、あざといシーンもあるが、それがむしろアクセント効果を見せているのは、この映画の持つ奥深さであり、幸運さであろう。監督、俳優、スタッフ全員の、「この映画は相当いいものになる」という期待感が場面からも伝わってきた。そして、映画を伏線を効かした最後の感動シーンまで流れるように導いたのはチェロの楽器であった。これは、バイオリンでもピアノでもダメで、チェロの重厚な音色がピッタリ。チェロの旋律(久石譲作曲)とテーマの重さと山形県庄内平野の鳥海山を望む美しい自然の風景が見事に溶け合った。舞台が東京、大阪の大都市だったら、ずいぶん印象の違う映画になっただろう。日本の真価は、地方の田舎にありと実感したのはおまけの喜びであった。2009.2.25UP

 

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鞆の浦再訪

春めく2月の日曜日、家内の実家の福山市に墓参りをかねて出向く。途中、鞆の浦に足を伸ばす。問題になっている埋め立て・架橋計画の状況と、昨年大ヒットした宮崎駿監督のアニメ映画「崖の上のポニョ」の影響で、観光客が増えていると聞き、その様子も見たいと思ったからだ。松永市から西海岸沿いに鞆の浦に入る。町中の道路は狭くて曲がっており、2回ほど対向車と道を譲り合ったが、案外と楽に通り抜けられた。途中道端で幾組の露天の魚売りが、歩行者相手に商売していた。仙酔島のフェリー乗り場やホテル、お土産売り場などのある東側の駐車場に車を止めて、歩いて町中に戻る。大勢で賑わうほどではないが、確かに、観光客の数は以前より増えているようだ。若い男女の姿も目立ち、外人観光客も目に付いた。まず、鞆の浦の全景を眺めることが出来る福禅寺に上る。入口に朝鮮通信使の言葉「日東第一形勝」を刻んだ古い石碑が立っている。彼らは、この場所から景色を眺め 「朝鮮国より東において一番の絶景」と称賛したという。早春の陽に淡く霞む島影、光きらめく穏やかな海、頬を撫ぜる爽やかな潮風、一時を忘れる景色である。万葉集にも八首歌われ、新春を寿ぐ琴の名曲「春の海」の舞台としても有名だ。「春の海」は、当地出身の盲目の作曲家・宮城達雄が歌会始にちなんで、子供時代に目に焼き付いた鞆の浦の景色を思い起こして作ったという。江戸時代からの常夜灯、雁木、波止、焚場、船番所、高台に位置する由緒ある各寺の建物が、この自然の円形湾とうまく溶け合い、独特の趣を醸し出している。ここは、作られたレトロな観光地とは違い、歴史の真価がいまも脈々と息づいている。時を超えた「普遍の景色」があるとすれば、正にそうだ。景色はもちろん、古い史跡や建物が多く残っている最大の理由は、先人たちが鞆の浦をこの上なく愛したからに違いない。

 

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江戸時代の面影を残す町並みを抜け、突端に石組みの大きな常夜灯の立つ広い船着場に足を運ぶ。湾の景色が1番近くで見られる観光ポイントだ。船着場には坂本竜馬ゆかりのいろは丸博物館もあり、民芸喫茶も営業している。観光客は思い思いの角度から写真を撮っている。埋め立て架橋計画の反対署名をお願いしているおじさんがいた。立看板に、現在の景色と計画後の景色を比較するポスター写真が貼られていた。見ると、常夜灯のすぐ目の前を湾の景色を塞ぐようにコンクリートの橋が東西に長く走る。誰が見ても、「そんなアホな」と思う無粋で無様な光景だ。バスやダンプや乗用車が終日走り、排気ガスや騒音やゴミを撒き散らし、南の潮風によって町を襲う。環境と衛生面でも害を及ぼすことになるのは明らかだ。この計画が発案された25年前は、美学も哲学もない「日本列島改造論」が掲げられ、その熱気に国中が狂った時代だ。発案者も、その熱病に罹っていたのだろう。公共工事が悪いというのではない。台風や津波など防災上の見地から湾を埋め立てたり、瀬戸内に多く見られる島と島を橋で結んで住民の利便性を計ることはいいことだ。時代に沿ったインフラも大事だろう。しかし、鞆の浦のこの計画の場合、湾を埋め立て、橋を架けバイパス道路を1本作れば混雑が解消するという単純な発想しかない。価値ある景観や文化を守り、先人が守り育てた観光資源を引き継ぐ態度が欠落している。道路が狭いから、古い建物ばかりだから、若者は嫌気差して、町から出て行き、町が寂れるという意見もあるが、若者離れは、今の地方の町ではどこでも起きている現象で、何も鞆の浦だけの問題ではない。今後日本の人口は急角度で減り続け、国全体がスケールダウンを余儀なくされる。車両も減り、道路も空いてくるのは間違いない。そういったことも計算した上で、道路やインフラ整備を行わないと、税金をドブに捨てることになる。

 

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それにしても、住民の一部が推進している山側にトンネルを掘ってバイパスを作る案(計画より安く出来るという)も、既存道路をラッシュ時に一方通行にして渋滞を緩和する案(英国のラウンド・アバウトのロータリー方式を取り入れるともっとスムーズに行くのではないか)も、完全に無視されている。島国根性とでも言うのか、外国の目はひどく気にするくせに、自前の文化や自分たちが住む町の景観(ちなみに福山市府中市の国道バイパス沿いの派手な大型看板の乱立は醜い限りだ。思うに、当地発祥のデカイ看板が売り物の洋服量販店が火を付けたに違いない)に関してはまるで無頓着だ。外国から価値を指摘されて初めて、「へぇ、そうか」と気づくケースが多い。今回の件も、世界遺産の候補地を調査する国際記念物遺跡会議(イコモス)が、当計画を知り計画の撤回を求める勧告をしてから、国内で反対運動が盛り返し、10万人以上の反対署名につながったと言える。日本は、自前の文化を大切にしないと、味も素っ気もない人工的な薄っぺらな国になってしまう。ある人は、「文化とは真綿のようなものだ」と述べた。確かに、文化に包まれると温かでシアワセな気分に浸れる。鞆の浦には、その文化(景観を含め)が奇跡に近い形で残っている町だと改めて感じた次第である。2009.2.10UP

 

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雪の朝に思うこと 

今日の土曜の朝はこの冬初の雪景色。我が家の庭も真っ白だ。私の住む暖かな瀬戸内の沿岸部も、年2〜3度ぐらいは大雪に見舞われる。大抵昼過ぎには雪は溶けてしまうけれど。しかし、雪、雪、雪、なぜか心が浮き立つ景色である。つい子どもの頃の思い出が蘇る。大雪の朝1番に学校の広いグランドに行くのが好きだった。誰の足跡もない真っ白なジュウタンの上を思い切り走り回る爽快感はたまらなかった。仲間と大きな雪だるまを作り、校門の前に置き、登校する先生たちが、「おーっ!」と驚く顔を見るのが楽しかった。冬は、不思議と遊びと結び付く。「子どもは風の子、家に閉じこもらないで、外で遊びなさい」と親に追い出された子どもたちが、神社の境内や原っぱに集まり、押し競まんじゅうや馬乗りなどからだが温まる遊びをして過ごした。小腹が空くと、枯れ枝を集め火を起こし、サツマイモをくべて、焼き芋にして食べ合った。当時は栄養状態が良くなくて、痩せた子どもが多かったが、みんな元気だった。寒い校庭で、全員上半身裸になって乾布まさつをさせられた思い出もある。丸坊主とおかっぱ頭がきれいに並んで、「一、二、一、二」の校長先生の掛け声に合わして懸命になってからだをこする光景は、今思い返しても健気で微笑ましい。寒風の中を薄着で遊び回ったり、家の手伝いで動き回っていたおかげかどうか、本当にみんな元気で、病気で学級閉鎖などということは、ほとんどなかった。その点、いまの子どもたちは基礎的な体力は低下しているのではないか。実際、そうゆう話も耳にする。無理もない。昔と今の子どもとでは、からだを動かす量も鍛え方も違う。「子どもは風の子、外で遊びなさい」という親もいなくなった。暖房の利いた部屋で、勉強やテレビゲームに時間を費やしているのだろうか。考えれば、国民の体力は「国力」の筆頭に来るものではないか。かっての風の子たちが、焦土と化した日本を世界第2位の経済大国に押し上げる原動力の一翼を担ったことは確かである。冬、外で遊び回る子どもの情景が懐かしく思う。2009.1.24UP

 

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紅白歌合戦

「サンデー毎日」のコラム「今週のブーイング」は、松崎菊也という得体の分からない作者が世の中の出来事を辛口の言辞で切り捨てるところが面白く、お堅い新聞社週刊誌に珍味を添えている。その作者が、先週号(125)の「ラジオでバレた」で、昨年紅白に出場した2人の歌手を槍玉に上げている。SMAPと和田アキ子である。紅白をラジオで聴いてその歌のヘタさにびっくりしたというのだ。多少、頷くところもある。SMAPはともかく、和田アキ子は、声帯の衰えが目立ち、苦しげに声を出しているのが分かるだけに、聴く方もしんどい。作者いわく「下手を通り越す」と手厳しい。その和田アキ子がトリを務めるのだから、いかに紅白の歌のレベルが落ちているかが分かる。紅白は、もともとラジオからスタートした歌番組だ。選ばれた歌の上手い男女の歌手が、ラジオで真剣勝負を競う。その名残もあって、テレビに移ってからも、歌手たちは歌に全神経を注いでいた。三橋美智也や美空ひばりがマイクに立つと、場内水を打ったようにシーンと静まり返ったものだ。「見上げてごらん夜の星を」を最初から最後まで目を瞑ったまま歌い上げた坂本九、「おふくろさん」を体を揺らし泣きじゃくるように激唱した森進一、「喝采」を濃いアイラインを目一杯開き、アゴを突き出し熱唱したちあきなおみ・・・、みんな歌に勝負を賭けていた。昨年の紅白では、倉本聰脚本のテレビドラマ「風のガーデン」の主題歌を歌った平原綾香が、歌に対する真摯な姿勢と澄んだ美しい歌声が光彩を放った。歌手の魅力は、声質、声量と改めて分かる。いまのビジュアル重視の紅白をラジオで聴いたら、確かに興冷めすることも多いだろう。全国の人が大晦日にテレビやラジオを前に、「歌を楽しみたい」と普段以上に気を入れて視聴しているのだから、NHKも、もっと基本線を大事にしなくてはいけない。カメラ、照明、衣装は、あくまでもその後である。それと、事前に紅白の出場歌手を発表するのをやめ、当日の生番組を見ないと、どんな歌手が出場するか分からないようにすれば、視聴率は上がるかもしれない。近頃は紅白の前宣伝が増えて、見る前から食傷気味になる。「昔の紅白は良かった」とNHK自身が懐古主義に陥ってどうする。色々なしがらみから紅白を解放し、テレビ、ラジオの両方で楽しめる紅白を目指して欲しい。案外それが人気挽回の鍵になるかもしれない。・・・前の稿で、「毎日富士山を眺められる人はシアワセだ」と書いたが、その富士山の写真を載せました。やはり、写真で眺めるだけでもシアワセな気分になりますね。2009.1.23UP

 

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英会話授業?

英会話は、出来たほうがいいに違いありませんが、実生活で、出来ないことで不利や不便を蒙ることはありません。当然ですね。英会話は、その能力が生かされる場がない限り意味がない。私自身、学生時代に実用英語検定資格を取り、簡単な英会話は出来ましたが、これまで英会話を必要とする機会はほとんどなく、今は単語も忘れた状態です。私の生きた社会が狭いと言えばそうですが、しかし、大半は似たり寄ったりではないですか。片や私の長兄の姪っ子2人は、英会話を実地で学びたいと、高校を卒業して英国に1年間語学留学し英会話を学んで戻り、一人は外国人相手の日本語学校、一人は貿易商社に勤めて英会話の能力を生かしているようです。英会話は、それを必要とする者が、必要とする時期に、集中して学べばある程度は身に付くものだと思います。それに、英米人から直接学ぶことにこしたことはありません。英語は、ちょっとした発音の違いで意味が通じませんから。それでも、日本の場合、英会話を必要とする人の割合は全体からすればわずかでしょう。早晩それが変化するとも思えませんね。戦後米軍に占領された時代においても、横文字は氾濫しましたが、英会話が広まったと言う話は聞きません。作家の上坂冬子さんは、昭和39年にアメリカを旅行し、英会話を習う決心して帰国したのですが、羽田を降りてすぐに「まぁ、そう急ぐこともないか」と思ったそうですが、その気持ち分かります。いまも、多くの人にとって、英会話は、多少便利で格好良く見えるツールでしかないでしょう。そこで、今度、文部科学省が「高校の英語の授業を英会話で行うべし」と言う指導通達を出したニュースを知り、正直驚いています。教師と学生に時間の浪費と精神的な負担を強いるだけではないかと危惧します。英会話を真剣に学びたい、スキルとして身に付けたいと希望する学生だけを集めて、選択科目やクラブ、同好会で外国人教師を使って教えるなら別ですが、全体に強要するのは疑問です。彼らの進路はまだ定まってはおらずまちまちだからです。英会話に割く時間があれば、国語、理数、社会にもっと力を入れた方が、将来的に役立つでしょう。国際経験が豊かな数学者でコラムニストの藤原正彦さんは、色々な本の中で、国語を軽視し英語に力を入れるわが国の教育方針を憂いておられますが、私も同感です。魂のない像を彫らしている、あるいは、他人の模写ばかりさせている様な気がするのです。固い話ばかりですいませんm(__)m2009.1.16UP

 

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日本語は素晴らしい

先日中国新聞の文化欄に「日本語は科学向き!?」という面白い記事がありました。内容は、米国籍1人を含む4人の日本人のノーベル賞受賞者が誕生したことや受賞者の益川敏英氏が日本語で受賞スピーチを行った快挙に絡まして、日本語を再評価するものでした。日本語の持つ優秀性は、日本のロケット開発に功績のあった糸川英夫博士が書いた本(「復活の超発想」)の中にも、実験で裏付けた話として書いていたのを思い出します。漢字と仮名をミックスした日本語は、ケタ違いの情報量と伝達力を有すると言うものです。例えば、同じ書物で英文を米国の学生に、日本語訳を日本の学生に与えると、日本の学生の方が5倍から10倍早く読むことが出来るそうです。日本語は「読む」と「見る」を左右の脳を使って瞬時に判断出来るからです。漢字を画()として見て、すぐ意味を理解するのです。漢字は書くのは難しいですが、その分情報量と伝達力に優れているということでしょう。漢字と漢字を触媒のように結び付ける平仮名の働きが大きいとも言われています。当然ながら、このような日本語の優秀性は、学習能力にもいい影響を及ぼします。アジアで1番最初に西洋文化を取り入れ近代国家を作り上げた底力になったのは、当時の世界一の識字率と藩校、寺子屋で鍛えた「読み、書き、そろばん」の基礎学力があったことは間違いないでしょう。幕末明治に日本を訪れた欧米人が等しく驚いたのは、庶民の学力の高さでした。日本語は科学的で論理性にも優れています。どんな難解な外国の学術書でも文学書でも哲学書でも童話でも、日本人は簡単に日本語に翻訳して読むことが出来ます。変幻自在とも言えますが、こんな器用な言語は世界では稀だそうです。昨年、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」がベストセラーになって話題になりましたが、難解なドストエフスキー文学が一番読まれている国は何と日本だそうです。もう一つ日本語を誇らしく思えるのは、和歌、俳句、書画、詩吟、浪曲、長唄、落語、演歌など言葉の文化、娯楽を生み続けた非常に質味の高い情緒性です。日本人の心を大いに豊かにしてくれます。こうして見ると、日本語の乱れと、日本人の学力低下、社会の俗悪化は無縁ではない気がします。今度文部科学省が「高校の英語の授業は英会話でやりなさい」と通達を出したとのことですが、「ゆとり教育」同様、権威主義旺盛な文科官僚の机上の空論、米英コンプレックスの表れではないでしょうか。12ヶ国語を話せる数学者で大道芸人のピーター・フランクルさんは、「外国語に堪能になりたければ、まず母国語を使いこなせなくてはいけない」と述べたそうですが、正論です。英会話より前に、もっと日本語を勉強し、日本語の魅力を知ることが大事でしょう。2009.1.16UP

 

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今年最後のゴルフ

自分のホーム・コースは、自宅から車で5分程度で行ける宮島カントリー倶楽部です。名の通り、風光明媚な瀬戸内海の景色と日本三景の一つで世界文化遺産に選ばれた宮島が望める歴史あるコースです。眼下に広がる広島市市街地の景色も素晴らしいです。季節ごとに春は桜、秋は紅葉、今の時期は山茶花が楽しめます。冬の雪のクローズも少ないです。景色と気候は、「広島一」と言えるでしょうか。ただ、9ホールです。18ホール作るスペースがなかったのでしょう。でも、アウト、インの2グリーンが用意され、ティーグランドの位置も違い、パー70に設定され、通常のコースと余り変わらない感じです。むしろ、アップ・ダウンがきつく、砲台の高速グリーンがゴルファーを悩ませ、コース毎に高い戦略性が要求されます。「ここを回って、他のコースを回ると易しく感ずる」の声もよく耳にします。仕事納めの翌日の日曜日、そのホーム・コースで開かれた今年最後のゴルフ大会に参加しました。プレー代、バイキングの食事、ドリンク、お土産付で7200円です。パートナーは、同じ仕事仲間です。ダブルぺリア方式と言うこともあり入賞を狙うというより、「今日はゴルフを楽しもう」「1打、1打を大切にしょう」と心に決めてスタートしました。その結果、5年ぶりかの80台が出ました。テンプラ、ダブりは数回ありましたが、OBは一回もなし、スリーパットも3回で済みました。ボールも無くすこともなく、逆にお土産で貰って増えました。ただ、おかしなジンクスと課題が残りました。ジンクスは、「シャンク(右打ちの場合、ボールが極端に右に飛び出す)は人にうつる」です。出だし、一人がティショットで見事なシャンクを打ってOB、次のホールで、他のもう一人がグリーンを狙うセカンドで、隣のホールに飛び込むシャンク、そして、もう一人も、そして私も、30ヤードのアプローチでシャンクのお付き合いをしました。結局4人全員シャンクを打ったことになります。「シャンクは人にうつる」は本当でした。これ、どう防げばいいのでしょう。一人いわく、「ボールから遠くに立ち過ぎるからだ」、あと一人「他人のショットは見ないようにする」、だそうです。課題は、体力の減退です。1年半前に腹を切る大手術を経験しましたが、身体の芯が弱っていることを感じました。ハーフを上がった昼食後に疲労感を覚え、それがインの出だし2ホールのダブル、ダボに出ました。気を引き締めて、「1打、1打に、集中せよ」と自分に言い聞かせ、何とか最後まで持ちこたえました。特に、上がり3ホールの、パー、パー、ボギーが辛うじて80台を生み出したのです。ゴルフは、人生と似ています。投げ出したら、それで終りです。今年は今回入れて4回しかゴルフに行けなかったが来年はもっと回数を増やして楽しみたいです。鍛え直せば、「60代でシングルも夢ではないぞ」とまだまだ、幻を描く自分がいます。好きな言葉があります。広島県が生んだ名プロゴルファー・倉本昌弘氏の言葉です。「ゴルファーは、みんな発展途上の人たちです」。まこと、そうあればいいなと思います。2008.12.29UP

 

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夢のある社会を

今年も残りわずかになったが、いまの日本社会の出来事や事件を見ると、ますます夢の乏しい国になったという印象を受ける。人は夢を描いて生きる動物だから、夢を感じさせない国は、どこか薄ら寒い。どんな小さな夢でもいいから、夢を抱いて生きて行きたいし、それが出来ない社会は不幸である。今年ノーベル賞を受賞した4人の日本人科学者たちも等しく「夢の大切さ」を説いていた。来年米国で初の黒人大統領が誕生するが、かっての黒人指導者のキング牧師が群衆を前に、「私には夢がある」と人種平等、機会均等を高らかに唱えた名演説がなかったら、こう早くは実現しなかったかもしれない。キング牧師が語った夢が黒人層だけでなく白人層の意識にもプラスに作用したことは間違いない。米国は夢を大事にする国である。夢は、描いてそれに向かって努力すればいつかは実現するという。人類発展の歴史が証明している。その夢を描くのは、人間の想像力の為せる技である。さらに言えば、夢は心の遊び、一幅の余裕から生まれるものではないか。今年選ばれた漢字一文字は「変」であったが、あらゆる分野で余裕がなくなり、夢がしぼんで、支える座標の軸が崩れ、状態が「変」(異常をきたす)になるのは当然かもしれない。夢を呼び起こすために、来年は「余」の字であって欲しい。中国の荘子の説く「無用の用」の大切だ。余は、情緒、遊び、夢、想像、活力、創造と繋がる。貧しく、慎ましく、余裕の時間が流れていた、あの昭和30年代のように、一人一人が明日を夢見てコツコツ努力を重ね、気づけば世界第2位の経済大国になっていた。あの頃の、夢を描き、夢を語り、夢を実現する、そんな夢追い人たちが闊歩する草創の気合の満ちた社会を取り戻したいものだ。ところで、今年嬉しかった一つに、新幹線のぞみ号の窓から、澄み切った青空をバッグに真っ白な雪を被った秀麗な富士山の全景を拝めたことだ。毎日この富士山を眺められる人は「シアワセだな」と思った。ただ、興奮気味に富士山にカメラを向けていたのは周囲を見回しても私だけで、もろ、田舎者丸出し。その姿を恥ずかしいと思ったのか、隣の家内が「ワタシ、他人ですから」の表情を浮かべていたのが、ちょっと癪であったが・・・。2008.12.26UP

 

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恒例のアジ釣り 

今年も、年末恒例の「アジ釣り」に行く。天気晴れ、風なし、小潮、満潮3時の土曜日、朝6時からのパートを終えて帰宅した妻に、「行くか」と聞くと、「うん、そのつもり」と色よい返事。さっそく支度を整え、11時過ぎに山口県柳井市の南端の港町、上関に向けて出発。途中、岩国で釣具店とコンビニに立ち寄る。夜釣りも想定し、ワームのルアー仕掛けも購入。妻はホットドッグを私はサンドイッチを口に、妻の喋りに相槌を打つ内に、2時前に上関の港に到着。上関は、NHKの朝ドラ「鳩子の海」と私の好きな山田洋次監督の映画「愛の賛歌」の舞台になった海の自然が美しい所である。いつも釣る港を囲む波止場の先端の灯台下には誰もいない。「ついてる」。明日は雨なので釣り人は多いはずの妻の予想は外れ、5〜6人程度の釣り人の数。灯台下を確保し、早速準備して釣り開始。妻の投げた第一投目からウキが沈み、竿がしなる。20cm程度のアジ2匹が釣れる。以後、2人の竿は曲がり続け、5時を知らせる町のチャイムが鳴る頃には、クーラーはほぼ満杯。他に、25cmサイズ20匹程度もスカリに入れて海に泳がしている。見計らったように、月刊「釣り情報」の記者が顔を覗かした。「釣れましたか?」「アジがね・・」「写真撮らしてください」「いいよ」とアジ一匹手にして「ハイ、ポーズ」。仕掛けも調べる。竿1.5号の5.3m、道糸4号、サビキ8号、ハリス1.5号、アミカゴ()、ウキ5号、ウキ下竿2本。「下にエサ針を付けているんですね」「これに、時々グレやチヌが食うだよ。数年前、ここで53cmのチヌを釣った」「あっ、覚えています。あれは54cmでした。取材したので覚えています」「へぇ、そう、あの時の・・」「ええ、1.5号のハリスでよく上がりましたね。あの大きさは、ここでは今までの最高です」。その時の地球を釣ったような感触を思い返す。釣り談義し、取材のお礼にタオル1本を置いて記者は去る。そうこうするうちに、日は背後の山に沈み、海上のウキも見えにくくなった。「止めようか。クーラー一杯だよ」「そうね、やめましょう」ということで、6時前に納竿。夕方頃から肛門痛が小刻みに襲ってきて、お尻の具合が心配になってきたこともある。今回、残念ながら夜釣りは出来なかったが、次のお楽しみということで。この日の釣果、4時間でアジ162匹、メバル2匹()、小鯛()1匹。勝負は4分6で妻の勝ち。先端のいい場所を妻に譲ったからでもあるが、エサ針がやたらサビキと絡まり、それを直すのに時間を食ったのが敗因。いや、これは負け惜しみ。でも、「そんなに釣ってどうする」。大丈夫、調理した上で、知人や近所におすそ分けする。「白土さんから貰ったアジを食べたら、スーパーで買ったアジは食えないな」と言う人もいるんでね()2008.12.21UP

 

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