田舎茶房

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絵を描くこと

人は、どうして大人になると絵を描かなくなるのだろう。人類を「万物の霊長」ならしめたのは、絵を描くことを覚えたことにあると言っても過言ではない。火を使う、道具を考え付く以前に、絵文字のようなものを描くことから人類の進歩がはじまったと考える。絵文字によって、様々な知識や情報、技や方法を得て、それがまた他に伝達ができたからである。人間の進化は、文字や言葉や道具の発達も簡単な形をなぞった絵を描く脳の働きから派生的に生まれたものであろう。とまぁ能書きはともかく、50半ば過ぎた頃から、童心に戻ったように急に絵が描きたくなった。趣味というほどのものではないが、時間が空いて気が向くと、パステル絵具を使って、自己流の絵を描くようになった。これが実に楽しい時間だ。しばらく使わず休んでいた脳が生き生きとして、同時に疲れた半分の脳を癒してくれる、そんな感じである。遊び程度だから、基礎、技法なんてあまり関係ない。下手は下手なりに、自分の感性のおもむくまま、描きたいものを素直に描くだけである。そこに自然と絵に、自分の好みや色合いが出てくるようである。これぞ、まさに自画自賛と言えよう。

 

image008 海辺の情景 nihonnkai okinawa 

(作品の一部)

 

湧永庭園に行く

先日の休日、田舎物件の調査で中国山地に行き、ついでに高田郡甲田町にある「湧永満之記念庭園」に足を伸ばした。湧永製薬()の社長湧永儀助が発案、設計し、社員たちが造った庭園だそうだ。創始者の生誕地にという。社会奉仕の意味合いもある庭園である。春と秋に一般に開放され、入場料は無料である。周囲の山々を借景に取り入れた、スケール感のある西欧風庭園である。芝生の鮮やかな緑と可憐な花々が見事なハーモニーを演出し、メルヘンの国に迷い込んだような心楽しい空間を演出している。庭園の管理運営は、社員の方がやっているというから、ますます頭が下がる。無料では相済まぬと、お土産売り場で記念シャツ2枚を買った。澄み切った青い空、まばゆいばかりの緑、可憐な花々が、「また来年の春来てね」と優しく声をかけてきた。

 

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(湧永庭園内)

 

尺八音楽について

最近尺八音楽に魅入っています。ラジオで流れる尺八の演奏に心を奪われたのです。1本の竹、五つの穴、その単純な楽器から、どうしてあんな変幻自在な美しいな音色が出るのか、楽器を超えた音の不思議さを感じます。1977年に米国宇宙局(NASA)が打ち上げた惑星探索機ボイジャー2号に、日本の音として尺八本曲「巣鶴鈴慕」が選ばれたそうですが、分かる気がします。その澄み切った音色は150億年の彼方に発信されています。宇宙人がいるとすれば、「地球人からの音の贈り物」と理解することでしょう。最近、民族楽器が見直されつつありますね。中国の若い女性楽士らによる古楽器の演奏が話題に上っています。癒し効果が有ると、日本でも評判です。日本でも若い楽士たちによる和楽器をフルに使った現代風の音楽が生まれてもいいように思います。

 

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   天狗シデ (大朝町の天然記念物)     

 

古い町並みが好き

古い町並みが好きだ。瀬戸の海沿いの町の神社通りの商店街で育ったせいかもしれない。先日も竹原市の町並保存地区を歩く。江戸時代にタイムスリップした感じがした。道幅が案外広く、往時の商家の繁栄ぶりが想像できた。飛騨高山、倉敷、柳井の町並みも同様だが、どうしてこうも「美しい調和」が保たれているのか。木造建築が醸し出す雰囲気もあるけれど、他を圧しない、邪魔しない、共存共栄の連帯感を感じる。商家の店先には、見世物用に大きなかぼちゃが置いてあったり、朝顔やホウズキの花が飾られていた。歩く人に喜んでもらいたいという、これももてなし、布施の一種だろう。そう言えば、私の父も店先に手作りの大輪の朝顔や菊の花などを飾っていた。道行く人の目を楽しみさせたい気持ちで、仕事の手を休め、土作りから精を出していたのを思い出す。そうゆう父を今も尊敬する。店の横には長椅子が置かれていた。「疲れたら、休みんさいよ」の心遣いである。長椅子に腰掛け年配の女性らが楽しそうにおしゃべりしていた。これも昔はよく商店街で見かけた光景である。高齢化が進む未来の町並みも、こう望みたいものだ。町の主役は商品ではなく、あくまでも人間なのである

 

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(保存地区の町並み)             

 

鞆の浦考

 万葉集にも詠まれ、世界文化遺産財団からイタリアのナポリと並び賞され、人類資産(WMW)に選ばれた広島県福山市の「鞆の浦」が危機に瀕している。公共事業で、湾を埋め立て、バイパス橋を建設する計画が進んでいるという。「鞆の浦」は、名勝の仙酔島、弁天島、昔からの商家、蔵屋敷、造り酒屋、寺社、路地裏と、前に広がる美しい湾、それを柔らかく包むような雁木(がんき)という石段の船着場の一体感が、他に類を見ない歴史的な風情を醸し出している。漁業、海運、商業、観光の今の生活と密接に結び付いているのが素晴らしい。湾を埋め立て道路が出来れば、便利になるかもしれない。しかし、町の雰囲気は壊され、海は汚染し、風紀の悪化、騒音公害に悩まされることだろう。開発という名において、古くから人々に守られ、愛されてきた環境、伝統、文化が簡単に壊されるのは残念である。そこで生活する人たちにとって、便利さは大切だろうが、湾を埋め橋を造る以外にも違う方法はあるだろう。もっともっと人の知恵と工夫が必要ではないか。

 

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(鞆の港)        

 

都市と田舎について

 私は戦後生まれのはしりだが、「あの時代は良かった」と思えるのは昭和30年代後半から昭和45年ごろか。丁度その間に、東京オリンピックと大阪万博が開催された。全国から憧れの東京、大阪に人々が大勢集まった。まさに、民族大遠足会の様相であった。今とは比べようないほど、大都市の東京、大阪がまぶしかった時代のことである。その時期を境として、都会と田舎のバランスが崩れ始めたようだ。人々が生活の価値観を華やかな都会に求めるようになった。しかし、思い起こして、全体を包む幸福感みたいなものは当時の方があったように思う。いまはモノ、金、便利さに恵まれても、「余裕がない」「心あらず」という危うい感じを受ける。当時、都市がまぶしかったのは、むしろ田舎にパワーがあったからだと気づく。都会がそれを吸い取ってしまった。ウイリアム・クパーは「神は田舎を作りたまい、人間は都会を作った」と詩に書いた。国の発展も国民の幸福も、都会と田舎の良好なバランスから生まれる。田舎の魅力とパワーを取り戻すべきである。どうする?。再び神の作りたもう安らかなる田舎に戻ればいい。さて、それが問題だ。

 

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山口県豊北はいい

 先日の春のゴールデンウィークは、例年通り自然を満喫するため、山口県の豊北方面にキャンプ旅行に出掛けた。混雑する萩市は避けて、田舎道をうまく利用して豊北地方に向かう。大浜海岸、川尻岬の海の景色は目を見張る美しさでした。夕方、角島大橋(通行料無料はありがたい)を渡り灯台の見える広々とした芝生海岸でキャンプした。若者たちが夜遅くまで楽器演奏していたが、潮騒とともに心地よい子守唄に聴こえ、早々に眠りについた。(川尻岬周辺の山には野生のツワブキが群生している。それを少し頂いて持ち帰り、茎を佃煮風に料理して食べたが、結構うまかった)

 

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翌日は磯釣りを楽しむ。午後から山陰国道を北上し須佐町に向かう。ホルンフェルス(断層壁)を見たいと思ったからだ。しかし、途中、道路端の「エコロジー・キャンプ場」の看板を目にし、急遽そこに行ってみた。その町営キャンプ場は穏やかな青い海を半円で抱え込む湾内の高台にあった。場内は満杯状態だった。海のカヌー遊びも出来る隠れた人気スポットのようだ。車両も九州、関西ナンバーも多かった。ここでもキャンプをしたが、今はやりオートキャンプでないところも気に入り、管理運営しているお年寄りたちのこまごまと働く姿も気持ち良かった。寝不足と地酒の酔いですぐさま爆睡。朝4時に目が覚める。キャンプ場に咲くマーガレットとアザミの花と、朝登る陽が美しかった。「曙に緑がそっと目を覚まし」。売店で、小さな黒石に可愛い絵を描いたお土産品を買う。

 

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翌日は待望のホルンフェルス(断層壁)を見学し、ついでに近くの磯で釣り、型のいいメバルを数匹釣る。益田市を抜け新緑眩い191号線を通り、聖湖近くの時々立ち寄るドライブ・レストランで昼食(カツ丼とうどん)を食べ、山菜採りなどして、夕方近くに帰宅する。途中、山中の道路で警察がネズミ捕りをしていたが、新緑に見とれて捕まった人は哀れ。警察も無粋なことをするものだ。かくして行き当たりばったり23日のキャンプ旅行は終了。(夜はタラの芽のてんぷらとメバルの煮付けでビールを飲む。うめぇ〜。)

 

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九重高原が好き

毎年のように訪れて飽きないのが、大分県にある九重高原である。高原全体の伸びやかで、たおやかな雰囲気が好きだ。温泉場も多く、春は山菜積みもでき、大自然の懐で気分をリフレシュできる。いつも行くキャンプ場(泉水キャンプ場)には広い露天風呂があり、登山で疲れたからだを癒してくれる。夜は満天の星を眺めながら鴨鍋をつつき九州の地酒を飲む。これがたまらなく美味い。そして、九重高原まで来たら、やはり山歩きである。登山が苦手と言う人も、ウォーキングがてらに「坊がつる」ぐらいは挑戦してほしい。特に5月末から6月初旬にかけて、つる(大鍋の底という意味)から眺める大船山と平治山の全山を覆って咲くミヤマキリシマの花は圧巻である。心ゆくまで自然が作り上げた自然の造形を満喫できる。また、九重高原一帯は自然観察にも適しているし、花木植物、乗馬などいろいろ楽しめる場所も多い。欧米人が口にする「神がこの地を作りたまい」、そんな感じがひしひしと実感できる別天地である。

 

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落語について

 今度、春風亭小朝、笑福亭鶴瓶らが「6人の会」を結成し、落語人気の復活に挑戦すると言う。落語は、子供時分に、公民館で開かれた演芸会で聴いたのが最初である。当時はみんな笑いに飢えていたのか、建物が笑いで揺れ動くようなに感じたのを覚えている。大学で東京に出てからは時々だが末広亭や飯野ホールで落語を聴きに行った。江戸落語には独特の雰囲気があり、噺家と客の間には一種の「真剣勝負」のような緊張した空気があった。事実、「また修行して出直します」と途中で高座を降りた名人(桂文楽)もいたという。落語家には武士の出も結構いたと言うのもうなずける。落語は話を中心に聞かせる芸だけに、噺家の人間的な魅力が大きく左右する。話が上手くとも、乗れないのもある。また、林家三平のように独特のキャラクターで聴かす人もいた。その裏には並々ならぬ努力がある。面白い落語を聴いた時、余韻はずっと残る。いまのテレビのお笑いのように瞬時に消えることはない。料理で例えれば、懐石料理と即席料理の差か。文楽、志ん生、円生、小さんらが築いた戦後落語の復活に大いに期待したいものである。

 

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ネット社会について

 ホームページを開設して半年が経つ。自分でワードソフトを使って作った簡単なものだが、守備範囲には丁度いいと思っている。 年賀状でHPを開設したことを書いたら、「見たよ」と電話やメールをもらう。中に、「あれ、この人には教えていないのに」と思ったら、名前を検索したら出てきたとのこと。ネット社会のすごさを感じた。そこで考えるのが、ネットの秘匿性(名前や身分を隠す)についてである。プラスとマイナスあるけれど、この先どう進むのだろうか。私は秘匿性はできるだけ排除した方がいいと考える。秘匿性もそれなりの意味はあるが、それが蔓延し過ぎると、ネットの信用性に悪影響を及ぼすと思う。人は、いくら時代が変わっても、相手の正体が分からないものは信用しないという性格は変わらないだろう。その点で、テレビメディアとITネットは似ているようで、生い立ちが全然違う。2つの補完関係は成り立っても、ITネットがテレビメディアを凌駕するということは現段階では夢である。また、日本だけで解決しうる問題でもないだろう。見切り発車でスタートしたITネット社会がどのようにこれから進化していくのか、可能性が大きいだけに想像し切れないものがあるというのが率直な意見である。

 

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「終の住み家」について

 戦後の目覚しい工業化、都市化は、民族の大移動を促した。団塊世代は「企業戦士」として、生まれ育った土地を離れ全国に散らばった。同窓会を開いても盆正月でないと集まらない状況は、いずこも同じだろう。それほど別々に暮らしている。その世代がリタイヤー時期を迎え、意識しはじめるのが「終の住み家」ということになろうか。故郷や田舎に住みたいという人も当然出てくる。いわゆるUターン、Iターン現象である。しかし、実際のところ、それを願う人はいても移住を実行する人は少ない。現状の生活に満足している人も多いだろうし、移住にともなう面倒と不安もあるだろう。その点、英米人は「老後は田舎で暮らす」ことを、早くから人生設計で組んでいるみたいである。でも、日本人はなかなかそうはいかない。というより、そうゆう体験の歴史を積んでないというのが正解だろう。田舎暮らしを夢見ても、築いた人間関係、住まいを捨て切れない、その戸惑いはあるに違いない。正直、田舎暮らしは不便である。しかしそれ変わる、新たな喜び、面白味、生きがいが見つけられるかもしれない。決断と勇気こそ、第二の人生の扉は開く、といいたい。

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山田洋次監督の映画について

山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」も結局は見逃してしまった。前評判の良さに気後れしたのと、原作(藤沢周平)で筋のあらましを知っていたこともある。山田作品で私が好きなのは初期の「愛の賛歌」である。これは面白かった。その後の寅さんシリーズの笑いのエッセンスが詰まっていた。登場人物もすごかった。伴淳三郎、有島一郎、千秋実、太宰久雄(後年のタコ社長)、小沢昭一、渡辺篤夫、左朴全、北林谷栄など名優揃い。主役の中山仁と倍賞千恵子の初々しいかったこと。映画はヒットしなかったらしいが、この映画を観て、松竹の城戸社長は山田監督を「松竹のホープ」と期待したと言われる。当時(昭和42年頃)、この映画を浅草松竹で観たが、「すごい監督がいる」とフアンになったのを覚えている。その後、ハナ肇の「馬鹿さんシリーズ」、渥美清の「寅さんシリーズ」は欠かさず観るようになった。しかし、「学校シリーズ」はどうも説教が鼻について好きになれなかった。「家族」「ふるさと」などの社会性モノはいいと思うけれど。やはり、初期の「愛の賛歌」「幸福の黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」のような山田監督でなければ描けないヒューマン・コメディーをこれからも作って欲しい。ビートたけしさんなんか使えば、また違った喜劇作品が出来るのでは、と期待する。

 

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最近驚いたこと

「お父さん、大変!大変!」と妻が、菜園から大声で戻ってきた。手に特大ジャガイモを二個抱えていた。何でも、試し堀した一株に特大ジャガイモが三個出てきたそうだ。帰る途中に知り合いに1個あげたという。「わあ!すごいな。きっと海藻が効いたのだな」と私。釣りに行った際、台風で浜に打ち上げられた海藻を大きな麻袋2つに詰め込んでて持ち帰り、肥料として畑にすきこんでいたのだ。「それにしてもこんな大きいじゃがいも見たことないなぁ」と顔を見合わせ大笑い。計量器で目方を量ると720gもあった。普通のジャガイモの4個分である。これ以上のものがまだ出てくるかもしれないと期待が膨らむ。家庭菜園は楽しい。もっとも私は畑を耕すだけである。妻がつくる無農薬のいろいろな野菜が食べられるだけでも幸せである。知り合い、近所に配っても大変に喜ばれる。さっそく、夕食は肉じゃがとポテトサラダとポテト・チップスで、乾杯だ!

 

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演歌について

最近の演歌が何か物足りない。テレビの歌謡番組などで聴いていても、余り感動しない。演歌、艶歌、「それでエンカ?」という感じである。プロだから歌は上手いのだけれど、かたちにとらわれ過ぎているというのか、新味のプラスアルファに乏しい。今では生で聴けなくなった亡くなった美空ひばり、引退したちあきなおみの歌が恋しい。演歌の基本は情歌であろう。ひばりやなおみの歌にはその情が溢れんばかりにあった。演歌を含め歌謡曲の「謡」は、民謡、浪曲、長唄、都都逸の発声方法と、演奏に使われる尺八、三味線、琴、和太鼓が奏でる和音とうまく協和して、演歌独特の情世界を作り出す。ひばりやなおみの歌声は尺八の音と同じである。首振って歌うしぐさも尺八の演奏しぐさと似ている。日本人のこころの琴線を深く響かせるのである。最近では、沖縄出身の夏川えみりが沖縄の蛇味線を使って、いいノゾを聴かせている。それにしても、ちあきなおみはなぜ、突然歌を捨てたのだろう。復帰運動をする人がいれば、応援するのに。なおみの「紅とんぼ」「かもめの街」を、生でもう一度聴きたいものである。

 

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喫煙について

愛煙家には、肩身の狭い時代になりました。道路で吸うと罰金をとられる条例までできる始末。喫煙者のマナーの悪さも原因にあるだろう。タバコは個人が楽しむ嗜好品、人前で吹かすのは控えるべきだろう。最近は、私はキセルやパイプを使う。道具を使うことで、タバコ本来の味をより楽しむことができる。キセルの場合、たばこを3つに切って使う。一箱で3〜4日は持つ。パイプは、「シルクロード」か「ビッグホーン」の一袋(50g)で約12日である。簡単に吸えないところが味噌で、その分、量が少なくなる。但し、パイプの場合、初心者は使い方を調べてから始めた方がいい。下手な使い方をすると喉を痛めてしまう。それと、パイプはヤニを掃除したり、付着したカーボンを削ったり、結構面倒臭い。それを楽しめる人ならいいが、面倒に思う人はじめから使わない方がいいかもしれない。タバコは害だけ大きく取り上げられているが、益ももちろんある。気分転換にいいし、頭を活性化し、アルツハイマーの予防になるという。JT(日本たばこ産業)が出しているPR冊子によると、アインシュタイン博士もナイチンゲールもたばこを奨励している。日本人では、日本画家の横山大観、映画監督の市川崑、俳優の森繁久弥らが、愛煙家として有名である。要は喫煙マナーを守り、吸い過ぎに注意することだろう。「酒たばこ止めて人生味気なし」である。

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